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モモンガ・コンプレックス ご多分にもれず ふつう

モモコンの公演は以前に「ウォールフラワーズ」と「明日 シベリアに行くかも」の再演を見たことがある。両者に比べると、従来のネタ感が減って確かに若干「ふつう」になった。それは悪い意味ではなく、ダンスという物により正面から向かい合うようになった結果だと思う。

本公演の特徴は「舞台美術男子の皆さん」なわけだが、普通のコンテンポラリダンスの公演であればこれらは「ダンス」に間違いなく含まれる。そこを「舞台美術」とヌケヌケと言ってしまうことによっていくつかの殻を破っている点が面白い。

一つ目は「動かないダンスもダンスである」というある程度知っている人にとっては当たり前だが、知らない人には非常に違和感のあるコンテンポラリダンスの常識の敷居の高い壁を「舞台美術」と言い切ってしまうことによって、取り払ってしまうこと。舞台美術なら動きがあまりなくても問題ない。

二つ目はは小さなカンパニーで人をたくさん使うことによる表現の幅を広げたこと。もちろん大きなカンパニーや大所帯のバレエ団ならできることだが、ダンサーであれば、例えちょい役であっても何か一つぐらいダンサーとしての見せ場を作らなくてはならないもの。その制限が入ってしまうととたんに場所や構成の制約が大きくなる。「舞台美術」であれば問題はない。

三つ目は、普通の人の体の無理のない面白さを使用できること。ダンサーであれば、皆鍛えられた体を持っている反面、静物としての体のバリエーションには欠けてしまう部分がある。逆に素人を動きのあるダンサーとして組み込む動きは、一つ間違うと単に質の悪い公演になってしまう。「舞台美術」であれば、それほど動きはないので問題はない。


なんか生真面目に書いているけど、相変わらずの絶妙な笑いのセンスと、飽きさせない構成のうまさはいつもどおりのモモコンで非常に面白かった。ガーリーにまとまってしまいそうで、そこに落ち着いてしまわないように距離をとって行くセンスがいいと思う。

最近はバレエ脳になっていたので、バレエ音楽ぽいところにあのダンスは違和感ありまくりで、そこが狙いなのだと思いますが、面白かったです。あと「明日 シベリアに行くかも」もそうだったけど、統一された全体に対して、一人がどうしてもついていけない違和感的な構成は白神さんの基本ポジションなのかなあ。