ひっくりかえる展

ワタリウム美術館で開催中の「ひっくりかえる展」だが非常に面白い展覧会であった。

グループ展的な形式をとっているが実質Chim↑Pomの展覧会である。それはChim↑Pomの作品が多いという意味より、キュレーションをChim↑Pom自身が行っていることが大きい。つまりChim↑Pomが自分たちをどう位置づけたいと考えているかという観点で他の作品を選んだという意味に取れる。

その意味では村上隆スーパーフラット展に近いが、そこまで計算高い仕掛けではない。というのも彼らの活動は美術史的には至って"正統派の"活動なので、村上さんのように無理に理論を構築する必要がないのだ。ただ、それが他の作家との類似性の中であまり知らない人にもわかる仕掛けになっている。

Chim↑Pomで最も有名なのは「明日の神話改ざん事件」だろう。これはかなり有名なので知っている人も多いだろう。この展覧会で紹介される作家も、ゲリラ的に公共の場に対してに何らかの「活動」を行うことにより、社会的問題を提起することを目的とした集団となっている。
http://www.cinematoday.jp/page/N0032438

しかし、この展覧会で最も象徴的なのは「指差作業員」である。これも有名なので知っている人も多いだろうが、福島第一原発ライブカメラで指さしを行ったやつである。展示としてはその映像が大きく流れるだけなのだが、今だからこそ我々が意識の底から意図的に消そうとしている現実をえぐり出すという意味で衝撃であった。
http://news.livedoor.com/article/detail/5850231/

また、この手の「主張」を目的としたアートはたいてい海外のものとして紹介されるが、率直に言ってその国の政治的背景を知らない人間にとってはわかりづらいものが多く、あくまで他人の問題として消費される。それが今ここの自分たちの問題であることも衝撃だった点である。

とはいえ「指差作業員」は別にアーティストと名乗っているわけでもなし、それをアートの文脈に組み込んで自分たちの行為を正当化するChim↑Pomは卑怯だという批判も当然成り立つだろう。

しかし、歴史的に言えばそれらを位置づけるとしたらアートしかないというのもまた事実なのである。こうした「活動」が伝統的な美術である絵画でも彫刻でもないことは自明だった。その「どれでもない」という意味ではこれらの活動は文学とも音楽とも舞踊とも政治とも宗教とも哲学とも言えたはずなのだが、20世紀以降は美術だけがこの厄介者を仲間として受け入れた。その点は現代美術の混乱の元であると同時に、他の芸術に対して面白い点とも言える。

その上でChim↑Pomの「気合い100連発」を見ると、それがアートであるとかどうとかいうこと以前に、その「行為」が今そこに必要で有効であること。それそのものが重要であることに気づかされる。

「アートが社会を変える」のではない。社会を変えるために必要なことのうち、他のどの分類にも入れようがないけど重要なこと、それをアートと認めよう。それだけなのである。