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会田誠展の問題について

森美術館会田誠展のいわゆる18禁部屋に展示されている作品について、展示自体を行うべきではないと、「ポルノ被害と性暴力を考える会」が主張している件について多くの意見が出ています。

http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/group-statement/

この問題は美術に限らずあまりにも数多く議論されてきた問題の割には、今ひとつ議論が整理されていません。これから書くことはこの問題が起きてから考えたことではなく、この手の話(非実在青少年問題など)が出るたびに思っていたことですが、ちょっと自分の意見を書いてみたいと思います。

まずここにおいて「ポルノ問題」という言葉を定義します。いい言葉でないですがめんどくさいので。これは「過剰な性的および残虐性を含む作品を、未成年が鑑賞することによって、精神的外傷を受けること」とします。成人の場合は問題にしません。また、実際に精神的外傷を受けるかどうかという点も問題にしません。

1. 作品の文脈や価値と、「ポルノ問題」の発生を分離するべきである

この手の話で一番問題になるのが、問題になる作品の「部分」は、作品全体の「文脈」のために必要である。文脈を考えた場合、作品としての「価値」の高さを考えると、問題とすべきではないという考えです。その逆に、特に現代美術については「こんなくだらないものを美術というのはおかしい、よって展示する必要はない」という意見もあります。

この考えには2つの点で大きな問題があります。

1-1 作品の文脈や意味や価値を規定すること、そして共通認識とすることが不可能である

美術に限らず、同じく問題にされることが多いマンガ等もそうですが、過剰な文脈の上に成り立っている部分を、それを理解できる人だけで楽しむ傾向があります。それ自体は悪いことでは全くなく、それこそが「文化」とする考えもあります。そしてその解釈も多義的であり、その多義性自体が楽しみでもあります。

その価値は、言葉である程度は説明可能ですが、言葉で説明可能な部分は一部でしかないというのは、ある程度時間をかけて趣味に向き合っている人なら誰もが理解できると思います。これはスポーツ観戦についてすら同じでしょう。

これから必然的に「作品の文脈や価値を規定すること、そして共通認識とすることが不可能である」と言えます。

1-2 作品の文脈や価値と性欲その他の感情は無関係に起きる部分がある

これについては逆に考えてみるといいでしょう。つまり「文学的と言われる映画のヌードあるいはセックスシーンはエロくないか」です。そうでないものもありますが、女優の画像で検索すると、そういうシーンのキャプチャ画像がでてくることも多いことから、それなりにニーズはあると考えます。

また、残虐性についてはそれがどのような文脈であれ、ある程度の心理的外傷は受けます。それが意図どおりではあるのですが、受けることそのものを否定するものではありません。


このことから、自分はこの問題において、作品の文脈や意味を議論すること自体が無意味で、むしろ「部分」として見たときの影響のみを考えるべきではないかと思います。もちろんこれについても意見は割れると思いますが、はるかにすっきりするでしょう。会田誠の「美術が扱うのは本質ではなく、表面だ」という考えに従うのであれば、表面のみを考えるべきなのです。

2. 既存の日本の制度では問題の会田作品は「ゾーニング」で適当である

「ポルノ問題」を含むコンテンツの扱いについては、既に映像、マンガ、ゲーム等で確立された制度があります。以下の3つの分類です。この問題というのは実は単純で、結局どれに当てはめるかという問題でしかありません。これは世界的に共通と思います。

1) 自由流通: 問題なし
2) ゾーニング: 18再未満閲覧禁止など
3) 流通禁止: 制作、流通、所持の禁止など

問題は、何をどれに当てはめるかということです。現在の日本における制度としては、表示部位と、出演者の年齢によって決まります。出演者の年齢は未成年ですと3.です。これは、視聴者に未成年の性行為を推奨するように見える点の影響と、出演者への性的被害を考慮したものです。

そして、問題になっているのが、メディアが実写ではなく絵の場合です。これについては絵の場合は出演者が存在しないので、2.でいいという考えと、未成年に見えれば視聴者側への影響は存在するという点で3.にすべきであるという考えがあります。

現在の日本では、現行のアダルトマンガ、アニメ、ゲームの販売を見ると、2.で了承という結論になっているようです。海外では3.という国も多くあります。

さて、問題の会田作品ですが、少なくとも「現行の日本の制度」では2.が妥当であり、森美術館の措置は妥当ということになります。ブログから該当作品の画像を消したのも、ゾーニングできないからという理由でしょう。

なお抗議文の第五の「また18禁コーナー以外でもキングギドラの頭部が女性の局部に挿入されている作品などがあり、子どもでも鑑賞することのできる状態で展示されており」は間違いであり、この作品は18禁部屋内にあります。

3. 既存の制度で処理することと、望ましい制度の議論を分離べきである

先にも触れましたが、絵の場合の扱いについては議論があり、当然「ポルノ被害と性暴力を考える会」は、現行の日本の制度自体が間違っているという考えです。それは抗議文の第一に明確に書かれています。問題は、それは美術館が判断すべき問題なのかという点です。

「ポルノ被害と性暴力を考える会」はもちろんそれを「わかっていて」やっていると思います。それは、現行制度は絶対的なものではなく、それを変えるための民意の形成自体が目的であり。この行為はそのデモンストレーションの面もあるからだと思います。それ自体は間違っていません。ただし、それを分離して考えないと、議論は平行線のままです。

4. まとめ

確かに森美術館は展望台目当てて来た観光客が、チケットがセットだからついでに美術館に来ることも多いので、この問題がないとは言えません。ただし、現在の森美術館の処置が著しく問題であるとは言えないと考えます。18禁部屋の出入り口にも監視員がいたように思いますし、もしいなかったら設置すべきでしょう。

この手の議論は過去の話でパフォーマンスでしかなく無意味であるという意見も理解できます。しかし、その過去の議論が現在においても有効なのかを問うことは無意味ではないですし、そのような機会を得たことそのものが、森美術館会田誠展を開催した収穫であったという考えもあるのではないかと思います。