フランシス・ベーコン展

さすが国立近代美術館と言えるいい展覧会でした。それほど混んでもなく、じっくり作品を観られました。

我々は結局のところ、命が宿る肉塊にすぎない。たぶんそこに彼の作品は立脚しているのではないかと思います。それには間違いなく第二次世界大戦の影響はあるでしょう。

彼がガラスにこだわるのは2つの対照的な意味があり、死屍と生者を分かつもの。それが壁としてのガラスであり、それもまた我々の一つの姿であるということが、鏡としてのガラスなのだと思います。

美しくないモノとしての体の自分自身に向き合うこと、その一つの形が舞踏である。その意味で、舞踏やダンスとの関係性を示したのは、研究者の方は当然なのかもしれないですが、自分はかなり新鮮で良い企画だと思いました。

ダンスと美術というとパフォーマンス的な、何かを表現する媒体いう意味で関連性が捉えられることが多いのですが、表現しないものとしての肉体に注目されることが面白いです。

自分は正直舞踏苦手なんですよ。何度か観てるけどどうも好きになれない。バレエとかの方が好きなのは、自由にならない体を持つ、自分自身を見つめる事に対する自己嫌悪なのだろうなあと思います。ただ、そのこと自体に自覚的になると、舞踏もまた違った見方ができるかもしれません。