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「文化を守ろう」では文化は守れない

今ネット上の話題で、2つの文化と規制に対する問題があります。クラブと風営法の問題と、マンガと児童ポルノ禁止法の問題です。似たような話はこれまでいろんな分野で行われてきました。捕鯨なんかもそうかもしれません。

それらの規制反対派の主張として「この文化はこんなにすばらしい。だからこの文化を守ろう」というのがあります。これはそもそもの目的がそうなので当然なのですが、その主張をいくら声高に言っても、効果がないのではないかと思うことがあります。以下にその理由を述べます。

1. 実害の解決になっていない

最も重要な点です。それが濡れ衣かもしれないにせよ、実害があると思われていることは確かなわけで、その実害との関係性の検証。問題がないとは言いきれない場合は、それをどう解決するかという案を出さないと話にならないと思います。

2. 文化は簡単には理解できない

自分たちの文化はいかにすばらしいかということを力説しても、相手が同じように理解するとは限りません。「深い文化」というのは理解するための前段階の文化素養が必要な物も多く、説明や少しの体験程度では理解できないからこそ「深い」のです。そこに言葉を費やしても得る物は少ないと思います。

3. 相手を「文化が理解できない」という言い方で貶めている

世界的に有名なXXにも支持されている。世界の進んだ国々に対し日本は文化が貧しい。逆に世界にない誇るべき文化である。これらの言い方は暗に「理解できないお前は無能だ」と言っているように相手から見えます。この言い方で建設的な議論が可能とは思えません。

4.「文化でないもの」が存在しない

「これは守るべき文化である」と言うなら、逆に言うと文化でないものとは何でしょうか。ある一部のコミュニティにおいて、ある期間共有されている行動や表現があるなら、それらはすべからく「文化」ではないのでしょうか。そうすると、それが制限されるのは文化の有無や優劣とは全く関係なく、公共の利益に反するからということがわかります。

日本人には理解しづらい「文化」が公共の利益を超越している例が、アメリカの銃でないかと思います。アメリカの伝統と文化をいくら訴えても、それを認めた上で、多くの日本人は銃による犯罪という公共の利益を考慮して、アメリカの銃規制の緩さは理解できないと思うのではないでしょうか。


文化が重要でないわけではありません。しかし、文化というのはサブカルチャーであれハイカルチャーであれ、文化圏の内向きの論理に過ぎません。文化は人が起こすものですから、場合によっては社会との摩擦が起きることもあります。その場合、内向きの論理ではなく、社会に向けた外向きの論理の構築のほうがはるかに重要となると考えます。