石田尚志展 渦巻く光

最近Oculus Riftに代表されるVRが流行っている。VRによってアートはどう変わるのだろうか? もう少し具体的に言えば、VRが発達すれば美術館は不要なのではないだろうか? 画集やモニタではなく、美術館に行くべき理由が、作品の大きさであったり、立体感であるのなら、VRで代替可能なのではないだろうか?

石田尚志展のポイントは2つあると思っていて、1つは絵の積み重ねの重さである。手書きの絵をアニメーションにする作家はいずれも凄いと思うのだが、石田尚志のアニメーションにはキャラクターも風景も一切出てこない。ひたすら抽象的な線と塗りだけで、色もほとんどない。アートという枠組み以外では一切評価されないストイックさである。

これで5分とかの作品ならとにかく「フーガの技法」に至っては20分である。面白いのだが、あまりの濃密さに10分で少し頭が痛くなってきた。制作時間も数年に渡り、原画も1万枚あるとのこと。ただこれが5分だと「よくあるアートアニメーション」で終わっていて、この物量を信じて続けたからこそ突き抜けたのだと思う。

村上龍の「愛と幻想のファシズム」に確か20年くらい1つのアニメーションを書いている作家がいて、結局主人公のファッションブランドのCMに使われるという正直残念な話があるのだが、その作家の映像があるとしたら、このような映像なのではないだろうか。


もう一つは、線と面、静止画と動画、2Dと3D、現実と虚構、時間と空間、そういったものがことごとくクロスオーバーされて、メタ化されていることである。

特に本展覧会の第四章の作品群がすごい。自分の中で無意識にこれは2Dと思っていたことがどんどん塗り替えられて、また現実が絵画化して行く課程は、映像がループしているのもあってものすごい非現実感がある体験である。


VRの話だが、VRはもちろんアートにも取り入れられるだろう。VRならではの表現手段もどんどん開発されていくと思う。でもすぐにアートはVRそのものもメタ化してしまうのではないかと思う。そして、そこまでやらないとアートをVRでやる意味はないのではないだろうか。