鴨居玲展

展覧会で一番おもしろいのはやはり回顧展だと思う。そこには生きるとは何か、価値とは何かということが凝縮されている。ましてや自殺した作家となっては。もちろん、そこには結果からのある種のフィルターがかかるのだが。

多くの作家に共通するのだが、画風の模索期がまず最初にあって、そのうち、社会的に評価される画風を打ち立てる時期が来る。当たり前だがこの時期がない作家はそもそも回顧展など開かれない。

問題はその後で、同じ画風で続ける人、新たな画風を打ち立ててさらに評価を高める人もいるが、画風を変えようとしてもシックリこない人もいる。そしてその結果、スランプになって自らの命を絶つ作家もいる。ポロックがそうであり、鴨井もまたそうであった。

そこから感じるのは、美術家というものの制作についての絶望的な孤独感である。もちろん社会的な友人づきあいはあっただろう。しかし、美術というものは本質的に自分自身のオリジナルの価値を突き詰めるものであり、自分しか理解できないと同時に、多くの人に共感されなくてはならない。根本的な矛盾を突き詰める作業でもある。

鴨井がこだわったモチーフは西洋の田舎の老人だった。老人のすべてを経験して諦観の境地に入った後で、ふとしたことから見せる恍惚の表情。そこにある種の純粋さというか、もう一つのモチーフである教会と同じ信じられる価値を見出したのではないか。

彼が日本に帰国して描けなくなったのはなんとなくわかる気がする。鴨井が帰国したのは1977年。日本は高度成長期からバブルへと続く絶好調の時期である。誰もが自信に満ち溢れて快楽を消費していた時代に、鴨井は他人に描くべき価値を見いだせなかったのではないだろうか。