村上隆のスーパーフラット・コレクション

非常に面白かった。村上隆の作品の好き嫌いと関係なく観ていい展覧会だと思う。

正直自分はコレクション展というものがあまり好きではない。全体として雑多な印象しか受けないことが多いからだと思う。この展覧会も雑多であることには変わりない。いやむしろ徹底して雑多であることそのものがこの展覧会の特色である。

「雑多な印象」の何が嫌なのか。自分はどうしても展覧会全体を通した意味を見つけようとして、それがキュレーターの考えとさっぱりシンクロしないからだと思う。

この展覧会ではそんなことを考える余地がない。解説的なものもほとんどない。知っている作家も知らない作家も含めて、こんな作品を作っている人がいるのか、これなんなんだろう、次にこれが来るのか。そういう美術を観る時のプリミティブな楽しさに溢れている。

現代美術は大きく分けて二つの文脈の中で評価されていると思う。一つは美術史的な文脈、もう一つは社会的な文脈である。この作品はいつの時代のどの国のもので、どういう立場の人が、どういう社会的主張をもって作ったのか。そういうことを理解して観ることが暗黙の前提となっている。

美術の力で社会を変える、逆に社会を変えるための活動で、既存のカテゴリに当てはまらないものを美術と呼ぶ。それはそれで重要なことだ。

でもそういう定義で美術を定義しだしたのはつい100年くらいのことでしかない。もっと大きな歴史的な枠で、1000年たっても価値がある美術とは何かを考えた時には、たぶんそういう文脈をこえたものがあるはずだ。それを持つものを観ることは、プリミティブな楽しさがあるに違いない。

この展覧会でフラットになっているもの。それは美術を縛る「文脈」なのではないだろうか。