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リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史 展

気仙沼被災写真から東日本大震災を考える展覧会。ここに美術館という組織のありようという話が入ってくる。二重の意味で考えさせられる展覧会である。

もともとが地域の美術館と博物館を兼ねた感じのリアス・アーク美術館。その職員が震災後、そもそも上部組織である地方自治体そのものが全く機能していない状態で、自主的に被害写真を撮り始め、後に地方自治体から正式に依頼を受けて記録を取ることになる。

それらの記録写真と被災物のリアス・アーク美術館での展示が「東日本大震災の記録と津波の災害史」であり、その一部を目黒区美術館に持ってきたのが本展である。この時点でそもそも"美術展"という枠組みでは単純にとらえられない。


記録写真には人物はほとんどなく、被災物の写真が多くを占める。そこに撮影者の当時の感想の文章が付き、時には撮影者個人に関係ある場所も含まれることが記載されている。

報道写真のよそよそしさとも、写真家の作家性とも異なり、主観が強くありながらも、あくまで客観性を維持しようという意思が強く感じられ、その点がかえって被害の絶望感を感じさせる。


もう一つは被災物の展示である。展示はリアス・アーク美術館では被災物自体の展示だが、本展では一部を除いて写真である。これにも文章がつけられている。

ポイントは、この文章が被災物の所持者のインタビューを聞き書きしたように見えるが、実際は職員が被災地のエピソードから作成した創作である。そのことは最初に明示されている。つまりこれは美術でいうところのインスタレーションとなっている。

この方法についてはかなり議論があったが、最終的に最も鑑賞者に伝わる方法をとったとのこと。しかし理解はできるのだが、若干過剰さを感じたのは否めない。インスタレーションとするには重すぎる感じがするのだ。


展覧会で何度も繰り返されるのが「津波三陸では数十年周期で繰り返されており、想定可能だった」という点である。

震災以前に津波についての展覧会もここで開催したとのことで、地方の博物館として津波の文化をもっと伝えられていれば、もしかしたら被害の一部でも軽くできたのではという忸怩たる思いが感じられる。


震災を考える意味でも、美術館、博物館を考えるうえでも非常に考えるところが多く、いい展覧会だと思う。