イケメン屏風の衝撃

渋谷区立松濤美術館の「今様」という展覧会を見てきた。正直ピンとくるものはあまりなかったのだが、木村了子のイケメン屏風"楽園"が衝撃だったのでそれについて書く

以下に絵の全貌があるのでそれをまずは見て頂きたい。いやイケメンである。そしてそれが日本画の屏風で2m×4mで二枚ある。
木村了子/ KIMURA Ryoko Art Works

イケメン絵そのものが珍しいわけではない。そして日本画に現代のモチーフを使うことも今ではむしろ手垢のついた表現方法でしかない。それなのにこの衝撃は何なのか。思うに"イケメン"がアートにおける残された数少ない未開拓領域だったからではないだろうか。

美術界に女性のモチーフは溢れている。古来より美の象徴と言えば女性だった。それはもちろん権力者が男性だったということとは無関係ではない。そこからその反動としてのフェミニズム的な文脈における強い女性、解放された性としての女性。その一方で女子高生や萌え絵などの消費される性としての女性をアートに取り込む試みも盛んにおこなわれた。女性についてはすでに残された領域はない。

しかし男性はどうだろうか。古代ギリシャにおいては男性の肉体美も芸術であったが、それもなくなってしまった。男性は社会的文脈における存在としてしか描かれなくなった。現代においては男性も美の対象となることがあるが、男性から見たカッコよさ、もしくはゲイカルチャー的な文脈によることが多いように思う。

ゲイカルチャーとイケメンは違うのか。個人的には違うと思う。ゲイカルチャーはあくまでゲイである男性の視点からみた美しさであり、それがイケメンと一致する部分があってもあくまで尊重されるのはゲイの男性の価値観である。イケメンは純粋に女性の理想である。自分は"ゆるゆり"は好きだが、現実のレズ文化に興味があるわけではない。

そういう純粋な女性の欲望としての"イケメン"は男性からは決して出てこない。女性が女性アイドルにはまることはよく聞くけど、男性が男性アイドルにはまる例は不思議なほど聞くことがない。それはポンと"アート"という文脈に出てきたのが衝撃だったのだと思う。