「1968年」-無数の問いの噴出の時代-

珍しい視点の展覧会で面白かった。この熱気は今と何が違うのか考えさせられた。

面白かったのが、べ平連のデモについて「今と違ってゆるいつながりの多数をつなぐ連絡手段がないので、毎週集まるしかない」という点を挙げていたこと。

確かに今は少数意見をつなぐネットという場があることで、同じ考えの人と共感することが実際に集まらなくてもできてしまう。結果として仲間内の共感だけで満足してしまうという点はあるのかもしれない。


大学闘争についてはこの展覧会の視点をもってしても、結果的には思想的にも大学制度的にも得るものが少ない、無駄な戦いだったという感想しかない。

大学闘争を主導した学生は、もし現代なら学生起業家として活躍するような「意識の高い」学生だったのだろうと思われる。そのような早く社会活動を行いたい学生のためのロールモデルが当時は活動家だったということなのだろう。

それが「学生起業家」という資本主義の論理にきれいに回収されたことが、いいのか悪いのかはわからないが。