未来のミライ

自分は面白かった。でもこれを単純に「家族」の物語として観る人には難しいかもしれない。

この家族の物語には「温かさ」がある一方で「不快さ」も同居しているのは確かだと思う。特に「不快さ」のほうがリアルに描かれている。くんちゃんのわがままさ、イライラする自分自身に悩む母親、主夫としての役割が果たせず悩む父親。

そして、この映画の難しいのは単純に「温かい家族の物語」として観ることができる一方で、その「不快さ」に対して現実的な正しい「解決」が行われないことに対する不満があり、それが監督の家族観に対する批判につながる状態になっているように思う。

リアルすぎるからこそ、現実の家族の問題とだけ捉えられること。それが実はこの映画の問題なのではないかと思う。


自分は40代独身であり、今後結婚も子供をもつこともないと思っている。だから「家族の物語」にリアリティがない。率直に言えばファンタジーである。

その立場で見ると、自分にとって「くんちゃんのわがままさ」は「大人である自分自身にとっての、わがままな子供の一面」として客観視することができる。

何かで読んだ、怒りや悲しみなどの強い感情を、自分自身で受け入れるためのトレーニングに「自分に中に小さな子供をイメージし、彼の怒りや悲しみを聞いてやり、受け入れてやる」というものがあった。そのようなイメージに近い。

「家族」である必要もない。例えば会社であっても、それぞれの人に過去があり、それを知ることで自分自身の成長に結び付けたり、共感したりできる。嫌であっても「立場」を受け入れることが必要な時もある。

パンフで監督もそのような話をしていたが、自分はパンフを見る前の観ている最中からそのような視点で見ることもできると思っていた。

そのようなもう少し普遍的な物語として捉えることができないだろうか。