政治的には2016年は"ポピュリズムの年"だったと言うことに異論はないのではないだろうか。
自分は日経新聞を読んでいるのだが、毎日のようにこの言葉が溢れている。日経は今年FTを買収したので、FTのコラムも載るようになったが、毎回その話ばかりだ。
自分はポピュリズムという言葉が大嫌いだ。ポピュリズムという言葉を使う限り、ポピュリズムを超えることはできないと思っている。
ポピュリズムという言葉は、暗に以下の意味を含んでいる。
- 我々エリートと比べて大衆はバカである
- 我々エリートが大衆を教育する必要がある
- 大衆の考えることは個別に内容を言わなくても、我々エリートは理解している
保護貿易や移民の制限等、個別の問題について論理的に語るのは全く問題ない。しかし自称エリート達が"ポピュリズム"という感情的な言葉で"お前たち馬鹿ども"と呼んでいることそのものが、彼らが信頼されない原因であるということに気が付かないのは何故なのだろうか。
自分たちの思う結果にならない民主主義なら反対するのか。そんなにポピュリズムが嫌なら、年収による選挙権の制限を行うことをなぜ提案しないのか。
2016年はエリートの本音が見えたという意味で面白い年だった。自分もトランプ大統領は好きではないが、もし彼の経済政策が成功したら…FTは何を言うのか楽しみである。