国家はなぜ衰退するのか

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

今の国際問題の根本はここなのかなという感は確かにある。

本書の主張はわかりやすい。持続的な経済成長のためには以下の3つが必須である。それ以外は本質的な問題ではないと考えている。

1. 中央集権的な国家
2. 包括的な政治体制
3. 包括的な経済機構

包括的の反対が収奪的で、これは政治的には独裁、経済的には権力者による搾取になる。この状態では破壊的創造のためのインセンティブが国民に働かず、長期的には経済は成長しない。

身も蓋もないことを言えば、正論ではあるが面白みのある主張ではない。非常にたくさんの例でひたすら同じ主張を繰り返すので、書籍としては退屈な部分は否定できない。

そしてこの本を読んでいる途中で多くの人が当然思うであろう考え「今の中国どうよ」には最終章で触れられる。彼らの主張によると、収奪的な政治体制と、包括的な経済機構の組み合わせでは長期的な経済成長はいつか行き詰まるだろうと。

ここからは感想なんですが、包括的な政治体制のためには、権力者の権力を分割しないといけないのだけど、そうするインセンティブは冷静に考えると権力者には何もないよなと。

国家だと大きくなりすぎるし、民主主義は先進国では当然のような考えになってしまうので、会社とかで考えたほうがわかりやすい。

仮に権力者が自らの利益だけを考えずに、全体の利益を最大化することだけを考えたとしても、権力を集中させるのと、分散させるののどちらがいいかは正解のない問題だったりする。

当然権力者は自身の行動は正しいと思ってやっているので、権力の移譲によるメリットは通常論理的にはない。ましてや私服を肥やそうと思えばなおさらである。

それが覆されるパターンは2つあって、1つは非権力者層が力を持つことにより、権力を移譲せざるを得なくなるパターン。そしてもう1つは、権力を分散したほうが結果的に成長することを信じて、意識的に分散するパターン。

国家においても、民主化を進めた国のほうが経済的に成長しているという事実があり、成長のための手段として、民主化を進めるというパターンは20世紀にはまだあった気がする。

しかしその大前提を崩してしまったのが今の中国で、収奪的な政治制度と、包括的な経済制度の組み合わせで、包括的な政治制度を持つ国以上の経済成長を達成してしまった。もちろん成長率が高いだけで、1人当たりGDPは依然として先進国には追い付かないのだけれど。

そこが世界の収奪的な政治制度を維持したい国々に猛烈に歓迎され、先進国も収奪的政治制度でもいいならそちらのほうがいいと気が付きつつあるというのが現状なのだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリがこの点について非常に興味深いことを言っていて、かつての共産主義の失敗との違いとして、ビッグデータの処理能力が上がったことにより、情報の分散よりも集中のほうが効率が良くなったのではないかと。

包括的な政治制度が経済成長に特にメリットがないという前提を受け入れた上で、なぜ包括的な政治制度が必要かという点に、再度立ち戻って考えないといけない時代に、今後はまた戻るのかもしれない。