- 作者: ユヴァル・ノア・ハラリ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2018/09/06
- メディア: Kindle版
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SFとしてみると凡庸であるが、この本では非常に多くの現在の研究からこの未来が導きだされているところに意味がある。
人類の進化の可能性としていくつも書かれているが、この中で最も重要なのは欲望そのものが完全にコントロール可能になる可能性があるということだと思う。
生存や種の保存の欲求すらコントロール可能であれば、そもそも人類について心配することそのものが無意味である。欲望を制御しないことが特権階級の贅沢になるのかもしれない。
データ至上主義すらアルゴリズムの欲望と言える。最後にはエントロピーの増大以外の欲望はなくなる。仏教的には理想な状態かもしれない
「集合としての人間には価値があるが、個人には価値がなくなる」ようになるという話があるが、これは現在ですら既にそうだろう。経済成長に必要なのは少数のエリートと労働集約型産業のための労働力であって、個人には価値がない。
将来的に労働集約型産業が絶滅すれば、集合としての人間にも何の価値もなくなることだろう。そうなった場合、役立たずの人類を生かす意味はない。そうなればこれも心配することそのものが無意味でないかという気がしてくる。
一方で役立たずの集団がエリートにとって何の害にもならなければ単に放置される可能性もある。我々が昆虫について特に害がなければ放置しておくように。
しかし未来予測というのは難しい。技術は予想もつかない進化がある一方で、進化を期待され、研究に多大なコストをかけながら全く進化しない場合もあるからである。
例えば原子力燃料の処理、燃料電池、常温核融合等このような例はいくらでもある。
そこに必要なのはイノベーションと言われる非線形な進化だが、そこは結局運の要素も大きいのではないか。AIの研究も長らく停滞していたのは有名な話だと思う。
イノベーションを前提とした予測というのは、SFと何も変わらないのだと思う。結局のところ線形的な変化の延長の予測に対して、具体的な対策をするしかないのではないか。つまらないかもしれないが。