狩野派 ─画壇を制した眼と手

ほぼ収蔵品だけでこの内容。さすが出光美術館という感じ。

"狩野派"って改めて言われてみるとあまりよくわからんのですよね。個人としての狩野永徳狩野探幽は作品も浮かぶ。

ただ"狩野派"という集団を指されると、西洋絵画における"サロン"のような伝統派としてのイメージと、分業による制作集団のイメージ以外あまりよくわからない。それがこの展覧会ですこしわかった気がする。

そもそもの前提として、人々にとって「価値のある絵画」というのは古くて有名な人の描いた絵画である。これは現代においてもたいして変わらないのではないかと思う。

しかし古い絵画の本物というのは当然希少で手に入りにくい。とするとお金や権力のある人が「価値のある絵画」が欲しい場合はどうするか。「古い絵画のタッチで描かれたそれっぽい絵」を新しく描いてもらうわけです。

この役割を担うのが「狩野派」なのではないかと。これも現代でもいくらでもありますね。

そのためには当然「古い絵画」そのものをよく知らなくてはならない。画集なんか当然ない時代だから本物を模写するしかない。その結果専門家として「鑑定」を依頼されることも増えるので、それ自体が商売になる。ビジネスサイクルが実にうまく回っているわけです。

我々は美術を伝統に縛られない新しい表現のほうが良いと考えて見ることに慣れている。だからこそ逆に今回観たやまと絵のような古い絵の方法論を、大きな屏風のような新しいメディアに描いた表現がむしろ新鮮に見えてくる部分もある。

本展覧会の面白いところは、狩野派の作品自体より、むしろ狩野派が古画として参照した絵と、その鑑定結果に焦点を当てたことでしょうね。

もちろん収蔵品展という制約から結果としてそうなった部分はある。狩野派の絵を見ること自体を目的にしてきた人からは肩透かし感はあるかもしれないのは否定できない。

とはいえ収蔵品メインの展覧会企画というのは地味になりがちで難しいと思う中、そこから新しい発見を導き出せるというのは企画力の勝利だと思う。