銀河英雄伝説と民主主義

銀河英雄伝説 全10巻を読み直したのでその感想を書いてみる。

英伝を初めて読んだのは高校生の頃、1990年頃でちょうど全10巻の刊行が終わったころ。当時はまだラノベという言葉はなかった。この手のものは当時いろいろあって自分も読んだ気がするが、いまだに新作のアニメまで作られるのは銀英伝くらいだろう。

今読み返してみて改めて感じたけど、長く愛される理由は「賢いエリートによる独裁と、愚かな大衆による民主主義はどっちがましか」というテーマが実に普遍的なテーマで、それに一貫してこだわり続けた物語だからだと思う。

自分も細かい話は完全に忘れていて、それ故に楽しめた。帝国軍と同盟軍はもっと拮抗した戦いをしていたように思っていたのだが、今読んでみると同盟軍は圧倒的に戦略的に負けてて、結局やっぱり負けるという身も蓋もない話であった。

年なのかもしれんけど、戦術的な話は全然興味がなくなっている。まあだって実際戦争したことないし、理屈並べられてもそうなのかわからんよね。各個撃破と全面包囲って同じ状態のこと言ってるんだし。

ヤン・ウェンリーは好きだけど、40代にもなって「今の仕事は俺の未知の才能を生かしていない、別の仕事につけば」と思うほどアホではない。

ただ、それでも「賢いエリートによる独裁と、愚かな大衆による民主主義」の話だけは、昔読んだときから覚えていて、今回も考えるところがあった。議論としては青臭い部分があるかもしれないけど、そこにこだわり抜いたところに価値があると思う。

刊行当時は1980年代。まだ冷戦が続くころで、独裁といえば共産主義のことを暗に指していたのかもしれない。1990年の冷戦終結後、民主主義こそが最も経済的にも成長できると誰もが思っていた。

しかしながら2010年代になってみると、中国のように独裁に近い国による経済成長の成功国が現れ、GAFAによるプラットフォーマーの独占も消費者は喜んで受け入れるようになってきた。

表向きは民主主義を支持するマスコミも「愚かな大衆」による民主主義はポピュリズムと切り捨てて、エリートによる選民政治を明確に支持するようになってきた。

これからも「賢いエリートによる独裁と、愚かな大衆による民主主義」の話が出るたびに、銀英伝のことを思い出すと思う。