コミュ障が婚活から学んだこと

自分は30代後半にいわゆる婚活をそれなりの時間とお金をかけてやった。付き合うという関係に至った人はいなかったが、毎月1回くらいは人に会っていた気がするので、まったく無駄だったわけではない。会った人も真面目な人ばかりだった。婚活サイト自体に問題があるという話ではない。

それでも自分は二度とやりたくないと思っている。30代でやるべきことはやったという認識があるので、40代になってからは完全にやめてしまい、精神的には非常に安定した。

特に自分のようにそもそもモテなかったのに、それなりの年齢になったから婚活やろうという人に参考になればと思っている。ちなみに今は40代後半なのでかなり前の話である。

常に評価されることに耐えられるか

"婚活"という言葉は、新書「婚活時代」の造語だが、実によくできた言葉だと思う。転職、就職活動と全く同じなのだ。

婚活サイトで「書類選考」を行い、選考に通れば「面接」を行う。自身のプロフィールの写真や文言をチューニングし、スカウトの言葉を考える。定期的な情報発信を行うなど、必要なことは転職と完全に同じだ。そして失敗すればお祈りが来る。

当然、精神的な負荷は同じくらい大きい。自分はそもそも人に評価されるということが嫌いで特につらかった。それに耐える精神力がまず必要である。

恋愛欲求を満たさない相手でも結婚したいか

それなりの年齢で婚活をするなら、相手もそれなりの年齢になる。仮に相手が恋愛対象として見ることが難しい外見であるが、性格や生活力には特に問題がない場合、それでも相手と心から結婚したいと思えるほど「恋愛」ではなく「結婚」が目的なのか。

要するに男性の場合「若くて可愛い女の子と毎日セックスしたい」と欲求とは完全に別の「結婚願望」が自分の中に本当にあるのかということは自問する必要がある。

自分にはそんなものはないということに気が付いたのは収穫だった。ちなみに今もない。少なくともよく言われる「40代になったら寂しくなる」というわけではなさそうだ。

男女関係なく人に興味があるか

これが当てはまるのは自分だけかもしれない。自分はそもそも飲み会のように雑談を強要される場がものすごく苦手だ。いわゆるコミュ障である。そのため、そもそも「女性と会って話をする」こと自体が苦痛だった。

「女性の内面に興味がない」と言われるだろうし、それは正しい。ただ実際のところ「女性も男性も平等に内面に興味がない」だけなのだ。結果としては確かに外見以外で判断できない。

会う相手に真面目な人が多いと「そもそも自分はこの市場にいることが失礼なのでは」という感覚にさえなってくる。

自分のようにここまでこじらせている人は、素直に二次元なりアイドルなりで疑似恋愛欲求を満たし、真面目に働いて納税することで社会への責任を果たすべきだろう。