美術展の不都合な真実

美術展の不都合な真実(新潮新書)

美術展の不都合な真実(新潮新書)

美術展によく行く自分にとってわかりみしかない本だった。毒も多いが美術展好きには文句なくおススメできる本。

この本の特徴は「興行としての美術展」の内情の記述に特化したことだと思う。美術品、美術作家、美術館、美術市場についての本はいくらでもある。しかし「興行としての美術展」に特化して語った本はほとんどないように思う。

「○○美術館展」は行く価値がない展覧会であることが多いとは自分もずっと思っていたし、企画として準備が簡単だから多いのだろうとは予想はしていた。実際に中の人から「そうです」と言われることで長年の疑問が解消された。

ただその一方で「興行として利益が出ている」ことは悪いことなのだろうか。美術は高尚な文化活動だから、儲かってはいけないのだろうか。そもそも「美術は高尚な文化活動である」というのはたいした思い上がりではないだろうか。

あえていうなら「興行として利益が出ている」ことに自分はむしろ安心した。公共の補助金に生命線を握られて、行政の思惑一つで解散させられるよりずっと良い。

映画館はブロックバスター映画の収入で、アート系映画に回す予算を補うこともあるだろう。劇場もライブハウスも同じかもしれない。興行であることそのものは全く恥じることではない。もちろん興行内容は吟味される必要があるだろうが。

おかしな話かもしれないが、自分は美術展のチケット代を払ったところで、マーケットとしての美術には全く貢献できていないのではないかという感覚があった。美術品そのもののマーケットとはお金が違いすぎるから。

しかし少ない額ながらも良い美術展にチケット代という形でお金を払うことが、今後の良い展覧会にもつながるということは、非常に健全な形だと思う。


本筋とは関係ないが、東京都とその周辺の美術館の評価も納得できる部分が多かった。近現代美術なら企画展中心ではあるが、東京ステーションギャラリーと、オペラシティアートギャラリーも良い企画が多いと思う。


ただ一方で、この手の美術館の収支の話でいつも引き合いに出されるのが、ルーブルやメトロポリタン等の超大型美術館の常設展である事には疑問を感じる。

自分はルーブルもメトロポリタンも行ったことがあるが、正直あまりにも広すぎて面白いとかいう以前に、どう見たらいいのかすらわからなかった。事前に十分な下調べをして、観たいものを決めてから行かないとはっきり言ってつまらない。

要するにルーブルやメトロポリタンは「観光名所」だからたくさん人がいて儲かっているだけで、あそこでモナ・リザに密集して写真を撮りまくる人々が美術を理解しているとは到底思えない。それは本当に目指す姿なんですかねということである。

ルーブルやメトロポリタンは世界中から事物を集めまくっただけなので、その土地に旅行に来てわざわざ見る必要はない。旅行に来て観たいのは、むしろその土地に密着した美術なのではと思う。

だから企画展をやめても、美術品を特定の館に集約しても、日本では決してルーブルは作れない。日本に来た外国人がわざわざ日本の美術館が収蔵している印象派を観るために美術館に来るだろうか。


もちろん常設展にもう少し力を入れることは必要だろう。ただ自分も含めて、企画展と常設展がセットになっている券で、常設展をスルーするのは別に美術がわからないからではない。単によく行っていると同じ展示が多く退屈だからだろう。

自分はオペラシティアートギャラリーは毎回常設展も観るようにしている。常設展というか収蔵作品による個展に近く、毎回テーマや作家がはっきりしていて、同じ展示になることはない。収蔵品だけでなく、新進作家による展示もありこれはこれで印象が違う。

企画展、常設展という考えではなく、収蔵品を如何にうまく「企画」して見せるかということではないかと思う。まあそんなことは百も承知だと思うが。