深井隆 -物語の庭-

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コロナ休館明けに観るにふさわしい、現実とは何かを考える展覧会であった。板橋区立美術館

先日見たニュースにこんなものがあった。別にデジタルでなくても、アナログ印刷の画集でも贋作でも同じ疑問を提起することはできるから、これそのものはさして目新しい視点ではない。
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ただ現実の美術品であるということは、どういう価値があるのかという疑問は確かにあるだろう。

深井隆の作品を本展覧会で観た最初の感想は「CGみたいだな」だった。幾何学的な形状に、自然物的なテクスチャ。作品によっては一面だけが、まったく別のテクスチャだったりする。

近代彫刻の一つの方向性として、形状とテクスチャの違和感というのがある。それを現実の物体にするために、多大な努力がされてきたという歴史がある。例えばイサム ノグチはそのような彫刻家の一人だろう。

一方で3DCGを多少知っている人であれば、3DCGは全く逆の歴史を辿ってきたことは知っているだろう。昔のコンピュータではポリゴン数が少ないので幾何学的な形しか作れない。それに自然物のテクスチャを貼って、それらしく見せるのである。

面白いのは彫刻とCGという表現方式が、互いにとって表現方式を入れ替えれば最も簡単にできる形を、あえて自身の表現形式で実現しようと多大な努力をしているという点ではないかと思う。

現実のように作られたCGと現実、CGのように作られた現実とCG。両方が脳に与える影響は全く同じかもしれない。率直に言えばそのような行為は単なる無駄でしかない。

それらに価値はないのかというと、ある。それが人間の脳に与える影響とは全く無関係に、そのような表現手段で生成されたものが存在するということそのものの価値である。その価値を意味があると思うかどうかは全く別問題ではあるが。

AIに対する人間の価値も、せいぜいそんなものかもしれない。