美術展でのソーシャルディスタンス

東京都現代美術館オラファー・エリアソン展に行ってきた。超人気作家なのである程度覚悟はしていたが、ソーシャルディスタンスの点で最悪であった。ここ二週間で行った飲食店、交通機関、商業施設の全てより最悪。しかもここは東京都の公立の施設なのである。

もちろん施設として対策はしている。入場にはマスク必須で、体温チェックあり。入場制限はかかっているし、チケット購入や、入場制限待ちの列も間隔は空いている。

しかし一度入場してしまえばそこからは無法地帯の始まりである。特にひどいのが映像展示と、体験者が限られる体験型展示である。

映像展示は人々が30cmくらいの間隔で詰めて狭い密閉空間に入って作品を観ている。今回の映像は5分程度のようだが、作家によっては数十分という作品も珍しくない。

体験型展示は並ばなくてはならないのだが、ここではソーシャルディスタンス等なかったかのようにみんな詰めて並んでいる。そもそも間隔を空けて並ぶためのスペースが確保されていないのである。

同時開催されている「ドローイングの可能性」展でも気になる部分があった。盛圭太の展示の一部が、狭い空間にいくつかの作品と映像が併設され、映像は観るのに時間がかかるので、ここだけ異常に人の密度が濃い状態になっていた。

美術展は劇場のように人を固定しておくことはできないので、ある程度は自己責任になるのはやむを得ない。気になるのなら平日に行けばいい、休日は混雑がわかっているのだから自己責任というのも一理あるだろう。

しかし運用によって緩和できる問題もかなりあるように思われる。そもそも東京国立近代美術館をはじめ多くの公立、私立の美術館では事前予約制をとっているのに、都立の美術館は全て事前予約制ではない。入場制限をしても興行面からは来ているお客はなるべく入れたいという心理になるだろう。

映像作品については、専用の部屋があるものは同時入場人数の制限をするべきだろう。展示室の途中に置かざるを得ないものは、そこで人が溜まらないように導線設計が必要だろう。体験者が限られる体験型展示の列は、間隔を空けて並ぶことができるように場所を考えるべきだろう。

美術展の場合、展示の方法自体も作家と決めている部分があって、現場の独断で変えることは簡単ではないかもしれない。しかしコロナ禍の展示というのは別に日本だけの問題ではない。地球環境について考えるなら、鑑賞者の健康についても当然考えてしかるべきだろう。

もちろんコロナ禍の美術展運用というのは始まったばかりであり、今後運用の注意点が整備されていく部分もあるだろう。美術館が危険な場所にならないよう、運用側ももう少し考えてほしいと思う。