レヴュースタァライトは"古典の再演"の物語

最近ロンド・ロンド・ロンドを観て、再度アニメ版を観直し、また少し自分的にレヴュースタァライトが盛り上がっています。

しかし、百合要素を除いたレヴュースタァライトの物語、特に11話、12話の展開の意味はあまりちゃんと理解していない人がいるのではと思ってます。

それで今更ではあるんですが、完全にネタバレありで、レヴュースタァライトは基本的にどういう物語なのかを自分なりに解説します。

レヴュースタァライトというのは要するに以下のような話です。

  • 古典を再演するのだが、どうも日本語訳の脚本にしっくりこないものがあった
  • 英語版の原作に当たってみたら翻訳の過程で抜けている部分が見つかり、その理由がわかった
  • そこから原作にも書かれていない本来あったであろう結末が推測できた
  • 本来あったであろう結末を元に脚本を書いて再演した

これ自体は"古典の再演"においては結構よくある話ではないかと思います。レヴュースタァライトは上記の構造がメタ化されているのでわかりにくいですが、全体としては一貫しています。

まずレヴュースタァライトは"スタァライト"という古典の脚本を再演する話です。

"スタァライト"は現代のカタルシスのある物語ではない、神話的でどこか理不尽な終わり方の物語であるとは思うのではないでしょうか。原作は英語みたいですが、元となる民間伝承や、英語版のさらに元となる言語の物語があるようにも見えます。

脚本側に立つことで物語の構造を変えようとする試みは既にばななが行っています。しかしばななは結局それを行うことができませんでした。

レヴュースタァライトの物語で最も面白いのが、華恋が脚本の結末に対する違和感の原因を突き止めるため、原作の英語版に当たってみたという部分ではないかと思います。

日本語訳で実は重要に思われている部分が抜けていて、そこを考えると新たな解釈が考えられるというのは、舞台に限らず、古典の翻訳において一般的な話ではないでしょうか。

またアニメ版では明確ではないですが、"スタァライト"は先にも書いたように、完全にオリジナルな作品というわけではなく、その元になった物語もありそうです。

だとするとそこも研究して、本来あった物語を埋めるというのは古典研究ではよくある話です。華恋がそこまでやるかどうかは別ですが。

古典の再演で結末が異なるというのは珍しいことではありません。自分が演劇に詳しくないのでバレエですが、白鳥の湖の結末は、通常は悲劇で終わりますが、ハッピーエンドで終わる結末の版もあり、どちらも受け入れられています。

「古典を正しく理解するには原著を原文で読め」という耳の痛い話を、エンターテイメントとして昇華するという離れ業をやってのけたのがレヴュースタァライトなのだと自分は理解しています。