安達としまむら10話を観た。放映当初は以下のようなエントリを書くくらい期待に満ち溢れていたのだが、途中から観るのが結構つらくなっていた。しかし10話がいろいろ面白く、いろんなことが自分の中でつながってきて書きたくなったので書いておく。
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お気持ちなので特にまとまりのない雑文な上、全話終わったら全然別のこと言ってる可能性はある。なお10話までのネタバレは多少あるので気になる人は読まないで欲しい。
モノローグでしまむらが「人と付き合うことはめんどくさい。それでも誰とも付き合わないのは退屈だ」というようなことを言っていたが、あだしまはそういう話なのだと思う。
人とのコミュニケーションが一番楽しいみたいな話では決してない。「めんどくさい」がはるかに勝る。それでもやったほうが楽しいこともある。そういうものすごく後ろ向きなコミュニケーション論なのだと思う。
安達もしまむらもコミュ障だがレベルが違う。安達は真正のコミュ障だが、しまむらはコミュニケーションはできる。ただ他人に興味のない自分をどこか冷静に見つめている感じがある。
安達はコミュ障なのに、いやコミュ障だからこそ、唯一できた友人であるしまむらに対して恋愛感情を抱く。これは自身を担当する精神科医に対して恋愛感情を抱くようなもので、本当は恋愛感情ではないなのかもしれない。
いずれにせよ強度に依存するあまりに取ってしまう行動が、この物語の面白さでもあり、辛さでもある。ここに対して第三者の視点で面白いと思えるか、感情移入して辛くなるかが評価の分かれるポイントではないかと思う。
先に書いたように、自分は安達と同じ真正のコミュ障なので感情移入してしまい、この描写が続くのは正直辛いものがあった。これが百合要素の入ったアニメ程度であれば自分も笑って見られるのだが、あだしまはこれがメインでこれしかないのだ。
ここに対して8話で入ってくるのが樽見というしまむらの幼馴染。三角関係キタ! 安達ピンチという感じなのだが、この樽見の扱いがこの物語らしい。
10話まででわかったのは、樽見も安達ほど極端ではないが、そこまで器用に人付き合いができるわけでもないということだ。まあEDの樽見を見ても陽キャではないわな。
しまむらは元々そこまで人付き合いに執着がないので、幼馴染がいきなり現れてもどうしたらいいかわからない。樽見はしまむらと仲良くしたいとは思うものの、距離感をどうとったらいいかつかみ損ねている。
安達としまむらほどドラマティックでない分、そういう「普通のコミュニケーションのめんどくささ」みたいなものが良くわかる。樽見の好感度は10話でかなり上がった。次回予告を見る限りでは11話でついに安達 - 樽見が接触するようで楽しみではある。
本作については、正直恋愛をストレートに扱うガチ百合はやっぱり自分には合わないと思った部分はある。一方でモノローグと心理描写に徹した演出と映像表現の素晴らしさは、それだけでも見る価値がある。そして何より各キャラクターが魅力的なのもあって、辛いけど好きすぎて観るみたいな複雑な気持ちになっている。
日野は可愛いなあ。なんか日野見ると普通の日常系みたいで安心するわ。永藤はよくわからん。