アートワールド

現代美術の理論的背景を説明する本を読んだことがある人であれば、"アートワールド"という言葉は一度は聞いたことがあるのではないかと思う。

ダントーという人のその理論によると、現代美術というのはアートワールドの中の人がアートと認めたものがアートであるという身も蓋もない理論であると説明される。あまりにも身も蓋もない理論なため、本当にそうなのか確認したく、ダントーのアートワールドも収録されている分析美学基本論文集を読んだ。

分析美学基本論文集

分析美学基本論文集

  • 発売日: 2015/08/28
  • メディア: 単行本

正直この本自分には超絶難解な論文集で、読み切ったはいいが全く理解している気がしない。そのため最初の目的の論文"アートワールド"についてのみ自分の理解を書いてみる。"アートワールド"は実は20ページくらいしかないのだが、それでもやはり難しい。

冒頭と1章ではまず芸術に対する模倣理論(IT)とリアリティ理論(RT)に分ける。リアリティ理論とは訳にないが、Reality TheoryでRTなのだろうし、リアリティを現実性と訳してもなんか変だ。

ここではおなじみの昔は芸術と言えば現実の模倣だったけど、写真が登場して模倣の意味がなくなったこともあって、現実の模倣ではなく、現実らしい認識を表現する方向になったよねという話になる。ポスト印象派ゴッホくらいまでは、多くの人がその点に納得するのではないだろうか。

2章で単なる物や図形がアーティストによって作られれるとアートとされるのはなぜかという話が始まる。ここで芸術的同定のisという話が出てくる。

役者が例えばリア王を演じているとき、「この人はリア王です」という言葉は芸術的同定としては正しい。もちろん本当にリア王であるわけではないので「この人は役者です」も正しい。この「この人はリア王です」のisが芸術的同定で、この同定を成立させるのがアートであるという理屈である

ここで出てくるニュートンの第一法則と第三法則の抽象画の話が面白い。図形としては同じであっても、それが何に見立てられるかは人によって違う。もしくは単なる落書きとして見られるかもしれない。

上記で言う芸術的同定が可能かどうか。それを決定するのは、芸術理論の雰囲気や芸術の歴史、アートワールドではないかという話がここで出てくる。

3章でついにウォーホルのブリロボックスの話が出てくる。理屈自体は2章のアートワールドの話の補強であって、単なる箱とアートとしての箱を分けるのは、アートワールドという話である。

4章で最後なのだが、ちょっと雰囲気が変わってややこしい話になる。たぶん20世紀のアートワールドが拡大されていった過程の理論づけなのではないか。これはこういう理由でアートであるという理論を伴う作品によって20世紀のアートワールドは拡大されてきた。


こうやって論文自体を読んでみると、いきなり身も蓋もない結論にたどり着いたわけでがなく、順序だてて理論が組み立てられていることがわかる。特に芸術的同定、見立てのようなものがなぜ成立するかという話は考えやすい。

アートワールドというのは何か偉い人が勝手に決めているというより、歴史的文脈であると考えればそこまで違和感のある考えでもない。それが鑑賞者の心に響くかはまた別問題ではある。