安達としまむら アニメ版

アニメーション演出という意味では傑作だと思う。ただ物語という意味では好みが分かれる部分はありそう。いろいろ思うところの多い作品である。

放映中に何故か2回もブログを書いてしまった本作だが、最終回は意外と淡々と観てしまった。良くも悪くもこれまで通りの安達を楽しめるかという話だったように思う。

アニメーション演出という意味では傑作だと思う。最終回を観た後で原作1巻買って第一話分を読んで、アニメも第一話を観直してみた。おおむね原作通りではあるが、それを考えても、モノローグと心象風景と現実が同じ画面で交差する本作独特の演出は本当に素晴らしいと思う。

例えば第一話の「人付き合いとは素潜りだと思う」というモノローグは原作に類似した例えの表現はあるが、この言葉そのものがあるわけではない。そこから言葉と映像を導き出すセンスはすばらしい。1話だけではなく、全編を通して映像表現としては十分に楽しむことができた。


一方で自分は最後まで安達という存在を受け入れることができなかった。一つは依存の強いキャラクターというのが百合とか男女とか関係なく、自分はあまり好きではないというのがある。

自分自身も安達並にコミュ障なこともあり、そういう人との関係性が少ない人が、関係に強く依存することの怖さを身をもって知っているということはあると思う。安達を観ていると、喜んでいるときでも幸福というより辛そうにしか見えないのだ。


もう一つは完全に好みの問題でしかないのだが、自分が百合に求めるものとの方向に違いがあったのはやはりある。

「百合と何か」という宗教戦争をする気は全くないのだが、大きく分けて「セックスも含めた恋愛関係」を求める層と「友情を超えたソウルメイト的関係」を求める層という2つの違いはあると思っている。

自分は「ソウルメイト派」なので、安達の妄想の性的な生々しさに引いてしまう部分がある。正直言えばセックスを含むなら男女の恋愛でいいのではないかと思ってしまうのだ。

念のため言っておくと、キャラクターで性的妄想するなんてけしからんというわけでは全くない。俺もしまむらちゃんの脚の間に座りたい。

ただ「ソウルメイト派」は異性間では難しい、セックス抜きのプラトニックな関係に尊さを感じているので、物語内の人物の関係性としてそこは結構譲れない一線だったりするのだ。わかれ。


またアニメ全体を通した物語としては、正直あまり締まりのない物語だったというのは否めない。これについては原作がまだ続いているから中途半端になるというのは、どの小説や漫画のアニメ化でもあるとは思う。

ただ本作の場合、最初にヤシロというかなり物語的にキーになりそうな存在が出てきた割には、後半は安達としまむらの物語には全く絡むことがなかったというのは、原作未読組からすると正直肩透かしではあった。

安達の気持ちを変えるためには占いが何度かキーになっているが、これにヤシロが絡むとかしていたらまだ納得感はあったのだが。

またしまむらも安達以外の友人との関係性の取り方に悩む部分があり、そこは結構面白い部分だと思うのだが、結局なんとなく安達と付き合っていく感じなのも、締まりがなく感じた原因だろう。

これが魔女の旅々のような1話完結か、日常系のように大きな物語をそもそも期待されていない話であれば問題ないのだが、恋愛というそれなりに大きな物語を感じさせる舞台だったのもあり、そこに期待する部分があった。


大きな物語がないとすると、恋愛の描写そのものを楽しめるかどうかという点が焦点になるのだが、自分は率直に言って好きではない。

恋愛物語が好きな人は、好きだけど告白できないいじらしさというか、そういう不安定な関係性を見ることに楽しみを見出しているのだと思う。リアリティショーとかもそういう部分を楽しむのかもしれない。

自分はそこに関心はなくて、日常系のような安定した関係性の中のやり取りにのみ関心がある。不安定な関係性を維持するという精神的な疲労を物語にまで観たくないというのが正直なところだ。

その意味で日常系というのは"関係性の構築"という一番めんどくさいことをスルーして、確立した関係性から得られる果実だけに思いを馳せる物語なのかもしれない。"普通の仲良し"のめんどくささに執拗なまでに焦点を当てたのが本作である。


とまあ論理的には「あまり自分には合わない作品だった」で済んでしまう気がするのだが、なにか凄くもやもやする。

恋愛物語的な比喩で言うと「第一印象がすごく良くて、途中ちょっと気になる点もあったけど、付き合ってみたら好きになるだろうと思って付き合ってみたけど、やっぱり無理だった」みたいな。「本当は好きになりたいけど、好きになれないことが辛い」みたいな気持ちが凄くある。

キャラクターはみんな好きで、しまむらはもちろん、日野も永藤も好きだし、樽見もなんか報われないところが可愛く思えてきた。

しかし安達は先にも書いたように好きになるのが難しい。それは結局自分自身の悪い部分や欲求が、そのまま安達に出ているように思えるからだと思う。要するに「自分自身を好きになりたいけどなれない」ということなのだと思う。

そういう意味で他の作品とは違って、心を削ってこの作品と向き合ってきたように思う。そういうところを含めてやっぱり本当は凄く好きなのかもしれない。