鬼滅の刃 アニメ版

全話観た。つまらなくはないけど、国民的人気作となるほど面白いのかはよくわからない。

いわゆるメガヒットというのは既存のヒットの原則とは異なるというのは多くの人が知っているのではないだろうか。これはコンテンツでもサービスでも同じだ。イノベーションのジレンマに近い。

ヒットのための方法として、一つは既存のファンが求める要素において、品質を極限まで高めるというのが正攻法ではある。こちらはリスクが少ないが、ファン層を既存の範囲から広げることは難しい。

もう一つの方法として、既存のファンが求める要素をあえて削ることにより、これまで入れることのできなかった別の要素を生み出すことで、ファン層を興味のなかった人まで広げる方法がある。

こちらはリスクが大きく、これまでの成功体験を知っている人からは、知っているからこそ否定される。

メガヒットを生み出した人のインタビューを読むと、まるで計算ずくで後者の方法をとって、反対した人々が馬鹿みたいに見えることがよくある。

しかしそれは後付けの結果論であり、後者をとって失敗した人のほうがはるかに多く、失敗したら当然「当たり前のことをしなかった」として非難される。

その「当たる非常識」と「外れる非常識」の区別がつくのが神のセンスなのだと思う。そうして「当たった非常識」が次の常識を作り、また常識のフォロワーが産まれてくることを繰り返す。

何が言いたいかというと、自分が面白くなかったという要素こそが、本作がメガヒットとなった要因なんだろうなということである。まあ自分はそもそもバトル物があまり好きではないので、「既存のファン」に当たるのかは微妙な感じがするが。


本作の特徴としては「わかりやすさ」がある。これは普段アニメを観ない人にファンを増やした要因の一つだとは思う。世界観も日本の大正時代ということで日本人にはわかりやすいし、吸血鬼のような鬼という設定もわかりやすい。

逆に言うと複雑な設定、トリック、心理戦、伏線による仕掛けのようなものはほとんどない。結構違和感があったのは伏線のない仕掛けがものすごく多いことだった。

全集中や型も何の説明もなく突然だった。なにより父親の話が伏線が全くなかったので、全体で最も盛り上がる展開で自分は拍子抜けした。隊律違反の話もあそこまで問題になるなら、先に誰かが言及して当然なのではという気にはなる。

そういう小難しい話より、感情で観ることができるわかりやすさのほうが価値があるのだろう。

全体の構成も違和感があった。最初はダークな炭治郎と襧豆子のバディものという感じで、これはこれでありかもと思ったら、善逸と伊之助が出てきて突然ギャグ色が強くなる。アニメーションとしてのバトルが全部終わってから、柱がたくさんでてきてキャラクターが増えるのも変な感じがする。

これは映画版でこの後の無限列車編をやるのが前提となっていて、そこまで話を進める必要があったのだろう。その甲斐あって結果は出ているのだし興行的には良いのではないだろうか。

また今どき珍しいくらい素直で真面目な主人公炭治郎の教育的な正しさ、努力、友情、勝利というジャンプらしさ、鬼の過去の悲惨な話で感情を揺さぶるストーリーは、多くの人は良い話だと思うのではないだろうか。自分は特に興味を覚えなかったが。

突然入るギャグは結構笑える部分はあった。善逸と伊之助はウザすぎる気がするのだけど、女性目線だと善逸が可愛く見えるのかもしれない。

女子は胡蝶さんが全ておいしいところを持っていった感がある。最後に主人公が胡蝶家の女子全員にフラグを立てる定番展開は笑ってしまった。恋柱は一部の女性から非難があったのはわからんでもない。

とりあえずネタとしての鬼滅の刃はだいたい理解した。単行本や映画版は別に見なくていいかな。