没後70年 吉田博展

明治以降の日本美術の流れでこういうのもあったのかという驚きがあった。東京都美術館
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東京都美術館でやるには地味というか、東京ステーションギャラリーとか世田谷美術館でやりそうな作家である。コロナの影響で海外物の大型展覧会が召致できないのもあるのかもしれない。

一言で言えばハイパーリアリズム浮世絵とでも言えばいいだろうか。主に山等の自然を対象にして、洋画のようなリアルな表現でありながら、絵画手法としてはやはり浮世絵と同じであるという不思議な木版画である。これを実現するために、従来の浮世絵の5倍近くの刷りを行うとのこと。

この作家がこの手法に行きついたきっかけがまた面白い。もともと20代で渡米し、画家として成功するという先進的な作家だった。この頃はメインは水彩画で、木版画は40代になってから本格的に始めたとのこと、40代半ばで関東大震災に遭って、絵画の売り先を求めて再度渡米。

そしたら元々売ろうと思っていた洋画がさっぱり売れず、木版画のほうが人気が圧倒的に高かったとのこと。まあアメリカ人の視点からすれば、東洋人のなんちゃって西洋画よりも、ジャパニーズウキヨエのほうが日本人の作品としては価値があるということなのだろう。このころは山中商会とかも全盛期でアメリカは日本美術ブームだったはず。

しかし凄いのはこの事実から、リアリズム木版画という方向に実際に路線を変更し、これだけの素晴らしい作品を作って成功を収めたことだと思う。思いつくことと成功することには天と地の違いがある。

まず一つはもともと自然のリアリズム表現が得意だったこと。木版画前の水彩画も少し展示されているが、これもリアリズム水彩画というか、水彩画でここまでの表現ができるのかという驚きがあった。

登山家という面もあり、元々の自然に対する深い造詣と観察力とそれを表現に落とし込む力があったうえで、油絵でなくても十分な表現ができるという確信があったのだろう。

また画家としては野心的な性格なのもあるだろう。20代で渡米、渡欧している点もそうだ。それ以外にも同時代の画家として黒田清輝がいるのだが、黒田清輝とはあまり考えが合わずに白馬会に対して太平洋画会を立ち上げ、洋画界の二大潮流となったとのこと。

そしてやはり絵画の販売先としての欧米を非常に強く意識し、成功する確信があったことだと思う。吉田博は世界各国も頻繁に行っているが、藤田嗣治のように海外に完全に住んでいたというわけではなく、あくまで住居は東京にあったようだ。そうでなけれは摺り師や彫り師の必要な浮世絵的な木版画は作成できない。

その上で単なる海外向け美術品ではない、リアリズムとしての自然による新たな表現を作り出している。もちろんそこには脚色はあるだろうが、日本画的な理想化されて再構成された自然ではなく、自然のそのままの姿があるように見える。そしてこれが油絵や写真であればこれだけの感慨はなかっただろう。

日本人の作品が国際的に評価されるパターンは一つではない。以下のようなパターンがあるだろう。このうち吉田博は1であるが、藤田嗣治は2だし、明治以前の日本美術は3だ。

  1. 海外展開を強く意識し自国の伝統文化を踏まえて革新する
  2. 完全に海外に住んでそのコミュニティで評価される
  3. 現在の国内市場に特化したうえで、その特殊性が海外より結果的に注目される

これは美術にもちろん限らないし、明治からインターネット時代の今に至るまで、時代が変わっても意外と変わっていないのが面白いところである。