テクノロジーの世界経済史

テクノロジーは生産性を向上させるのか雇用を奪うのか問題に対して、過去の歴史から考察できる本。『「今回はちがう」ことを示すデータはない』という言葉は重い。

「テクノロジーは生産性を向上させるのか雇用を奪うのか」という問題が単純な二者択一の問題ではないことはだれでもわかるだろう。実際にはどちらも起こりうる。この本においては生産性を向上する技術を「労働補完型」雇用を奪う技術を「労働置換型」技術として分けている。

この分け方には違和感がないわけではない。生産性を向上させる技術によって労働者が補完されるか置換されるかは、需要によって決まるように思う。

一人当たりの生産性が技術によって向上した場合、増えた生産物に対する需要があれば売上も増えるので労働者を解雇する必要はない。一方で需要が伸びなければ売上も伸びないので長期的には解雇せざるを得ないだろう。

この本の面白いのは技術による労働置換で失業した労働者が、技術による生産性向上による社会全体のメリットを得ることができるまでに、どれだけかかるかという点を実証的に研究していることだ。結論としては、それは数十年、つまりその人にとっては一生に当たる場合もある。

その長さは時代によって変わり、19世紀の産業革命時代は長く、20世紀の世界的な高成長時代は短く、そして再度の低成長時代である21世紀ではまた長くなっている。結果として中間層の減少と格差の再拡大という形に見えるようになってきている。2000年を境に歴史が逆行しているのはだれもが既に感じていることだろう。


ここから少し個人的な話になるが、その仕事が労働置換型技術によって奪われるかということを見極めるのは難しい。今も20年前と同じ仕事であればそれは単に運がよかったのだと思う。

自分の父は写植技術者だったのだが、DTPの波が来た時点で個人経営の会社を畳んだ。自分は20年前とたいして変わらず現場でプログラムを書いている。むしろ今ではIT技術者が人気職業になってしまって驚いているくらいだ。

自分は就職前から研究室などで多少プログラムを書いていたが、当時はIT系でも文系で現場で初めてプログラムを知る人は全く珍しくなかった。率直に言うと工学系の実務スキルのない理系が行くところだったのだ。

今の人が会社辞めてスクールに通ったり、IT系でもポートフォリオを作るみたいな話を聞くとびっくりする。そりゃ今の新人が優秀なわけだ。失業したら今の新人と戦える気は全くしない。

正直今の年になってしまうとなるようにしかならないという考えしかなく、変化を楽しもう的な意識高い考えには全くならない。

LIFE SHIFTという本が少し前に流行って自分も読んだが、要するに技術革新でいつ失業するかわからないけどそれはあきらめろ、全ては自己責任だ、ただし寿命は延びるという本である。

だからといって今ラッダイトを起こしてコンピューターを壊しても何も変わらない。最後に何を書こうかと思ってWikipediaでラッダイトを調べたらこんなことが書いてあった。さすがマルクス。19世紀に戻るなら、19世紀の論理で戦うしかない。

産業革命時代のイギリスの経済学者カール・マルクス資本論でこのラッダイトを批判しており、労働者は「物質的な生産手段」ではなく、「社会的な搾取形態」を攻撃すべきだとした