アウトプット原理主義の非人間性

自分が「アウトプット原理主義」と名付けている思想があります。以下のようなロジックです。

  • 人はアウトプットでしか評価されない
  • どんな人にも「本当に好きなこと」があるはず
  • だから「本当に好きなこと」をアウトプットすべき

自己啓発書の7割くらいに書いてある内容です。これだけ多くの人が書いているということは、上記に従って成功した人はたくさんいるのだと思いますし、それ自体は否定すべきことではありません。

しかし、この思想は重要な部分に問題があります。それは「人間そのものに価値を認めない」という点です。意味があるのはその人のアウトプットであり、人間そのものには価値を認めない。そう言っているのと同じだからです。

もちろんアウトプットはあったほうがいい。それが他人にとって必要とされるアウトプットであればなおいいでしょう。

しかし、アウトプットだけを目的として、勉強したり、コンテンツを楽しんだり、旅行に行ったりするのは、ひどく貧乏くさい考えだなと思います。好きなことも嫌いになってしまう。

よくベーシックインカムやティール組織の議論で「本当に好きなことをやれば結果として生産性があがる」という話があります。しかし、生産性を目的としている時点で、アウトプット原理主義人間性疎外の罠にはまっています。

では自分がアウトプット、外見も当然アウトプットとして、そこに全く価値を認められない人に、人格そのものを肯定だけできるかというと難しい。そこには宗教が必要かもしれない。

しかし、そこを認める社会でないと生きづらい人が増えるだけではないかという気がします。40歳無職の犯罪みたいな記事を読むたびに、そんなことを考えます。