人の活動をインプットとアウトプットに分けてみます。ここでアウトプットというのは具体的にものを作るわけでなくても、仕組みを作るでも、それらを作る人に影響を与えるでもいいです。
そう考えたときに、価値のあるのはあくまでアウトプットであって、インプットそのものには何の価値もないのではないでしょうか。
多くの本を読むとか時にインプットが賞賛されることもありますが、それはインプットによるアウトプットが期待されるからであって、期待されるアウトプットがなければ、インプットそのものは無価値です。
例えば本をたくさん読んでいる人は、話が面白いとか、仕事ができるとかを期待されるわけで、それができないようであれば本を読むこと自体は無意味です。
自分について考えてみると、インプットの量に比べて、アウトプットがほとんどないことに愕然とします。
問題は、自分はインプットにはいろいろ興味がありますが、アウトプットにあまり興味がないという点にあるのではないかと思います。重要なのは、インプットは自動的にアウトプットを導くものではなく、能動的にアウトプットを生み出そうとしないかぎり生まれないということです。
もしかしたら多くの人が自分と同じかもしれません。しかし、価値のあるアウトプットを出す人というのは間違いなく、インプットではなく、アウトプットのことを考えている人なのではないかと思います。インプットは手段でしかないのです。
具体的にはわからないけどインプットがいつかアウトプットの役に立つと言うには、もはや人生は残り少ないのではという気がします。