作品のない展示室

美術館建築に対するスタッフの思いを感じた。世田谷美術館
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なかなかメタな企画である。東京都庭園美術館は建物自体が価値があるということもあり、時々展示物を入れずに建物を観る企画をやることがあるが、普通の公立美術館ではあまり聞かない企画である。

確かにこのコロナの環境下において、美術展は以前のように開催できなくなっている。美術展を開くことができるとはどういうことかを考えるには面白い企画だろうと思って行ってみた。

しかしながら実際に行って思ったことは、もちろん上記のような意味合いはある一方で、スタッフに一度この美術館において作品ではなく、窓を見て欲しいという思いが以前からあり、それをこの機会にやってみたということなのではないかと感じた。

入ってすぐに、いつもであれば最初の作品群がある円形のスペースの、まるで窓そのものが絵画であるような風景に圧倒される。これらの窓はこれだけ美しいにも関わらず、通常の展示時には隠されてしまう死んだ窓である。

次の広いスペースにおいては、展示ケースと対をなすかのように、今度は正方形の窓が並んでいる。これらも外の風景と窓枠が相まって絵画のように見える。これらの窓も通常の展示時には死んでいる。
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美術館において展示室における窓は機能的には無駄でしかない。作品保護の点でも温度調整の面でも無駄なコストにしかならない。

合理的な美術建築としての一つの到達点は国立新美術館だと思う。まるで看板建築のように正面の見える部分だけがガラス張りでそこに移動スペースを確保し、展示スペースはまるで倉庫のように無機質である。

周りもガラスで開放的に作ってかつ合理性を考えるなら、周囲全体を通路にして中央に展示室を作るしかない。この方法論が金沢21世紀美術館なのだと思う。

世田谷美術館の建築家はたぶんこれらの窓が実用上は無駄でしかないことは理解したうえで、それでも窓を作ったのだと思う。

展覧会の展示替えの期間にだけ、スタッフだけが観ることのできる窓。それらをいつか観て欲しいという思いが美術館のスタッフにはあったのではないか。