千葉正也個展

久しぶりにこういう方法論があるのかという新鮮さを味わった。東京オペラシティアートギャラリー
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今更なのだが現代美術において絵画は難しいと思う。これだけインスタレーションや彫刻が自由な時代において、あえて平面の絵画で表現すべきものは何なんだろうと。

イラストは二次元であることの良さはかなりわかりやすくあると思う。ただ現代美術という領域においては、平面性そのものを強みにする何かではないと、立体の強さにはどうしてもかなわないのではないか。

極端に言えば平面である時点で、同じ大きさならデジタル化してディスプレイに映しても同じなのではないかという疑問がある。"モノ"としての絵画に価値はあるのだろうかと。

千葉正也の方法論はそこを完全に逆手に取っている。展示写真を観ればまあすぐわかると思う。インスタレーション的なオブジェ、ただの静物画でもシュルレアリスム的な非現実なものでもなく、実際に製作可能なインスタレーションぽいところが重要だ。

これを非常にリアルに描いた絵画を、インスタレーション的な構成をされた会場内の壁ではなく、中に絵画に木のスタンドのような台をおいて設置する。壁ではないので、当然絵画は横からも裏からも見える。裏は別に特別な仕掛けがあるわけではなく、単にキャンバスの裏でしかない。

この方法論によって、絵画とインスタレーションという概念が確かに揺らぐ。インスタレーションをリアルに描いた絵画をインスタレーション的に展示するとき、そこに見えるのははどちらなのか。

身も蓋もないことを言えば、現代美術のための現代美術という感じもする。これを観ることにより国際問題や環境や貧富の差やマイノリティの問題について考えることなんてない。癒されるとかやる気がでるとかそういうこともない。

しかしそういう思考のためのロジックそのものの無意味性、それそのものが重要なのではないかと思う。世界は社会的な意味を求めすぎている。だからこそ無理やり社会的な意味を求めないこと。むしろそこに現代美術の良さがあるのではないかという気がする。