ギリシャ人の物語

民主主義は英雄の敵なのか。

ギリシャ人の物語」を全巻読み終えました。「ローマ人の物語」は以前に全巻読んでいます。「ローマ人の物語」を読み終えたときは読了記念にローマに行ったのですが、ギリシャに行くのはまだ無理そうですね。

ギリシャ人の物語」ですが"ギリシャ"の物語と言えるののは1,2巻で、3巻は完全にアレクサンドロス物語になっています。

自分がずっと心に止めて読んでいたのは、「民主主義は本当に有効なのか」ということです。この疑問はもちろん、近年の民主主義の揺り戻しが背景にあります。

しかし民主主義のルーツともいえるギリシャにおいてさえ、危機対応においては独裁に近い体制のほうが効率的だった。

ギリシャ編における一番の英雄はテミストクレスだと思いますが、第二次ペルシア戦争において最大の力を発揮できたのは本来の民主的で非効率な運営を一時的に停止し、権力を集中できたことによるものでした。

民主制はその後も陶片追放で、民衆を扇動して宿敵を追い落とすための手段として主に使われ、結局陶片追放はその強力さから廃止された。民主主義は英雄を邪魔するための制度でしかないのです。

スパルタのエフェロスは王の権力を監視するための1年交代の市民の代表という制度です。これは一見現代の市民オンブズマン制度にも似て至って民主的です。しかしながら本作では諸悪の根源の悪の組織のような描かれ方です。

これは塩野七生の非常に強い英雄中心史観による部分も多いとは思います。ギリシャ人におけるアレクサンドロス、ローマ人におけるカエサルは最も力をいれて書かれている部分です。しかしアレクサンドロスは民主主義とは全く関係がなく、カエサルはむしろ共和制を帝政に変えることで民主化という意味では後退させた。

だとすると民主主義である必要はあるのだろうか。一つあるのは独裁者が英雄ではなく暴君だった場合に、それを民主的に止める制度があることだと思います。独裁者はやろうと思えば簡単にその制度を潰すことができる。そこに手をかけるかどうか。

そこが最終的には選挙結果に従ったトランプのいるアメリカと、共産党以外が支持される可能性のある選挙の存在そのものを潰そうとする中国の差ではないでしょうか。