竜とそばかすの姫

細田監督は次回はネットとか全部忘れて、リアルな高校生青春映画を作るべきじゃないか。

自分は細田監督は時かけ以降は全部観ていてかなり好きな監督だ。問題作とされる「未来のミライ」ですら自分は高評価だった。今調べたけどサマーウォーズの感想はこのブログの前か。時間の流れを感じる。
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それでも本作はさすがに厳しかった。やはりどうしてもシナリオがつまらない。

本作はサマーウォーズ以上にネットが話の中心になっている。監督インタビューでも述べられているが、ネットにおける誹謗中傷やデマなどの負の側面が軸になっている。一方でそれだけでなく、ネットによって無名の人物の意外な才能が発揮されることや、見えなかった社会問題が可視化されることといった正の側面にも触れている。

しかしそれらのことはもう10年くらい前から同じ状況で、それらがようやく世間でも一般常識となった。昔のような未知の恐怖ではなく、60代以降の世代でもスマホを使うことが珍しくなった状況で、等身大の問題として認識されるようになったに過ぎない。

そこに対して、今世間で認識されている以上の深い認識や考え方があるかというとそれはこの作品にはない。しかしそれでもわかりにくいということか、ネットでの行動はあまりにも説明的に処理される。それはネットによって全体主義的になった事実を表現しているともとれるが、単純にシナリオとしては退屈だった。


ネットでの身バレという問題を扱ったのはいいとして、ベルの場合はそれが全然悪い方向に機能しないのも問題だろう。身バレが問題なのは、ネット上の人格に社会的に問題がある場合に、それが現実の本人と一致することで現実生活に影響がでるというのが基本的なことだろう。もちろん単に恥ずかしいというのもあるが。

しかしながらベルの場合は歌姫なのでバレても有名人になってしまうことくらいでそこまで問題があるわけでもない。何より本人は「こんな普通の女の子であることがばれたら嫌われる」と思っているが、映像的にはスクールアイドル化することでむしろアバターより人気が出るように見える。もちろんそこは実際にはすずは美少女ではないと割り引いて考える必要があるが。


また最後の特定はネットを通じて行わるべきであったのではないかという疑問がある。既に有名人であるベルが自身が独自に得たヒントを提示して呼びかければ、「特定」は善意の共感をもってネット上で分散して行われ、ネットの良い面を示すことでテーマとして一貫したカタルシスが得られただろう。しかしながら「特定」は悪であるという前提を壊してしまうのでこれはできなかった。


一方でエモーショナルな側面としての美女と野獣であるが、これも今一つ感動しない。竜とベルとの関係性が薄すぎて、ベルが竜に肩入れする理由がよくわからないのだ。単に正体を知りたいでは他のユーザーと変わらない。なぜベルだけが城がわかって受け入れられたのかもよくわからない。

まあもともと細田作品の恋愛は男女とも「顔と雰囲気で選ぶ」感しかないのであるが。それが現実的に悪いかというと悪いとは全然思わない。自分も黒髪美少女大好きだし、細田作品のイケメンは男性の自分が照れるレベルのイケメンである。ただ物語としては「顔と雰囲気」では納得感は薄い。



全体的にはかなり問題が多い本作であるが、実のところ現実パートは高校生青春ものとして結構楽しめた。すず、ルカちゃん、ヒロちゃんの女子高生三人組は文句なく可愛い。ルカちゃんの吹奏楽シーンも可愛いし、ヒロちゃんの毒舌ぶりもいい。すずとルカちゃんが好きな人がお互いバレるところもいい。

カミシンとしのぶくんのスーパーイケメンぶりも良い。舞台を観ているような川辺と駅のショットは面白いし、カミシンの「応援してくれるってことは」の天丼からの展開も楽しい。とにかく高校生描写は素晴らしかったし楽しく観ることができた。

細田監督本人はネットとかファンタジーの非現実描写が評価されており、高校生の描写なんか他にいくらでもできる人がいるという認識なのかもしれない。でも自分はそこにこそ可能性を感じるし、あえて次回は原作のあるさわやか高校生青春ものを脚本は他人に任せてやるのもいいんじゃないかと思う。