"竜とそばかすの姫"のラストのメタな仕掛け

"竜とそばかすの姫"の最大の問題のラストについて気が付いた部分があったので書いておく。当然ネタバレなので注意。













あのラストは「すずの母親の行動に対する周りの人々の批判」と「ラストのすずの行動に対する我々観客の批判」を一致させるために仕組まれたメタ構造の仕掛けなのではないか。

前回の感想ではあえてラストには触れなかった。観たときに各所で言われている倫理的な違和感を感じなかったわけではない。むしろそれが明確過ぎて、単純にどう解釈していいかよくわからなかった。

そしてもう一点としては、過去の細田作品に対する多くの倫理的な点からの批判が、自分はどれも作品の本質とはかけはなれた批判のように思えており、同じレベルでの批判をすることに少し距離を置きたいと感じたからだ。

その状況でこの問題をなんとなく心に置いたままで、まあ当然来るよなという本作ラストに対する各所のレビューを読んでいて、ふと気が付いた。これは「すずの母親の行動に対する周りの人々の批判」と同じなのでは。

「すずの母親の行動」と「ラストのすずの行動」が両方とも厳しい言い方をすれば「無謀な自己犠牲」に見えるのは明確だと思う。「すずの母親の行動」の時点で「なんでこの人これやるの」と自分も正直思った。この一致が意図的なのは明確だと思う。

現実にはあまりないように思えるかもしれないが、例えば紛争地域にあえて取材やボランティアで行って、テロリストの捕虜になった方の事例はまさにそうだ。この時はネットは全く同じような反応をした。

この作品のテーマは間違いなく「ネットによる批判」だろう。そう考えると「すずの母親の行動に対する周りの人々の批判」を批判した観客が「ラストのすずの行動に対する批判」をするよう仕組まれたと考えるのは十分に辻褄が合う。

「本作のラストに対してネットで批判する観客」自身が「竜とそばかすの姫」の作品の一部なのである。

もし本当にそうだとしたら確かに良くできてはいる。とはいえ作品内のキャラクターについてあまりにもドライにすぎる感もある。