ゴッホとゴーギャン展

自分は美術展では単独の作家の回顧展が一番好きだ。それはたぶん作品を通してその作家の人生を考えることができるからだと思う。

2時間程度の短時間において、作家の生涯の作品を知ることができる芸術は美術くらいしかない。小説や映画は時間がかかりすぎる。音楽はできなくはないが、20曲程度に限られるだろう。美術はその点、時間をある程度自由にできるので、作品から人生を考えることが誰でも手軽にできる。

ゴッホゴーギャン展だが、正直ゴッホゴーギャンも個別の大きな回顧展に既に行っているのでそれほど期待していなかった。ただこの2人については有名なエピソードがあることもあり、それらを並べることで見えることも多かった。

この二人の関係性における焦点はやはり「なぜゴッホゴーギャンとの共同生活を始めて3カ月で、自分の耳を切るまでに精神的に追い詰められたか」だと思う。作品とその流れを丁寧に見ることにより、それが自分なりに少しわかった気がした。

ゴッホと言うと情熱的なイメージが強いが、自分の印象は"生真面目"だった。最初はミレーのように渋い絵を描き、印象派に出会ってからは印象派をうまく取り入れる。画家による共同生活を仲間に呼びかける、人間を愚直に描くなど、とにかく生真面目な印象。

そしてその生真面目さが、"芸術家"としては今一つあか抜けない理由なのではないかと本人も思っていたのではないか。

一方ゴーギャンは破天荒な天然芸術家肌の印象。マルティニーク島に行って海外も知っていて、絵も観念的な象徴派方向。ゴーギャンの絵はゴッホとの共同生活前の絵が一番病的な気がする。赤の使い方がやばい。

その状態でゴッホは5歳年上の憧れのゴーギャン先輩を黄色い家に迎えたわけだ。たぶんゴッホゴーギャンの狂気を意識的に自分に取り込もうとした。しかし、根が生真面目なゴッホはその狂気に耐えられなかったのではないか。

その結果、その後のゴッホの絵には間違いなくそれ以前の絵には見られなかった狂気が垣間見える。個人的には自分はその狂気の宿る絵のほうが好きなのだが、ゴッホは1年後には狂気に飲まれて自殺してしまう。

もちろんゴッホはそういう感情移入を起こしやすい作家である。そしてそういう物語のための作品を集めた部分もあるかもしれない。しかしやはりそういうことを作品から読み解くことが美術の楽しみの一つであると思う。