特別展「茶の湯」

茶道具って正直苦手なんですよね。ただなぜ苦手なのかよくわからなかったのですが、その理由が本展覧会でやっとわかりました。理由は「茶道具の歴史的な流れを理解していなかったから」です。美術とはコンテキストであるという事実が、この歴史に凝縮されています。

その流れを展覧会の流れに沿って自分なりに解釈してみます。以下と一緒に見るとわかりやすいかも。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1828#info

第一章 クラシック時代

茶の文化の始まりの室町時代です。このころはわかりやすかった。外来の美術的にもわかりやすく優れているものが、茶道具としてもてはやされた時代です。

第二章 カウンターカルチャーとしての侘茶

茶道といえば侘び寂びですが、これはもともと第一章の文化に対するカウンターカルチャーだったんですね。

第三章 茶のモダン化

ここでやっと利休がでてくるのですが、利休はカウンターカルチャーであった侘茶をメジャー化しました。メジャー化の為に取った手段が、モダン化なのではと思うのですよ。

カウンターカルチャーをメジャーに認めさせるには、なんらかのクラシックとの共通の価値が必要です。たとえば漫画であれば、漫画であっても小説に匹敵する内容のストーリーがあって初めて認められた。

ここでいうモダン化というのは「一見素人が作ったように見えるが、クラシック時代と同じく非常に計算された上で作られた」という権威づけです。モダンデザインの単純さというのは、実はその権威上に立脚している。そうしないと権力者は納得できないわけです。

しかし、ここまで来ると完全に「文脈」を知らない人にとっては理解できない世界になります。現代美術が理解しにくいのと全く同じ現象が起きます。

第四章 混迷の時代

利休の後は、モダンデザインの継承が行われます。このころの茶道具は今国立近代美術館工芸館で見られる近代工芸と変わらないように思えます。逆にいうと作為的になりすぎるきらいも見えます。当然その後に出て来るのは、古典の復興です。


なんだか美術そのものの流れを見ているようですね。結局茶道具は、どの時代のどのような文脈のものかがわからないと理解できないわけです。これは日本の宗教美術や絵画の文脈ともかなり別になっており、これだけを一旦理解しないと始まらない。

良くも悪くも成熟した文化というものはそういうものであり、その点を久しぶりに思い出させてくれる展覧会でした。