民藝の100年

日本民藝館とは異なるアプローチで民藝に迫るいい展覧会だった。東京国立近代美術館

歴史の中の民藝

民藝品とはどういう品なのかを見たければ東京駒場日本民藝館に行けばよい。実際今回の展覧会の展示物もほとんどが日本民藝館の収蔵品である。その上であえて"国立近代美術館"で"民藝"の展覧会をやる意味とは何だろうか。

この展覧会では柳宗悦民藝運動について、歴史の中での位置づけをなるべく客観的に淡々と捉えようとすることで、日本民藝館とは違った方向性をだそうとしているように思う。あくまで主役は民藝運動であり、民藝品はその参考資料の一つに過ぎない。出版物などと同じ扱いである。

現代美術史における"運動"というのは有名なものでもせいぜい10年程度しか続かないものがほとんどである。民藝のもとになった白樺も雑誌としては10年程度しか続いていない。

民藝は1920年代頃に始まったが、今でもその文脈が受け継がれる例外的に長い運動である。その意味で歴史的にとらえることは価値があったように思う。

太平洋戦争と民藝

柳と朝鮮文化と韓国併合の話は有名な話だと思う。個人的には内閣情報部による対外宣伝のグラフ誌"NIPPON"との関係が興味深かった。

当時は朝鮮は日本に併合されていたので、"日本文化"の一つとして"朝鮮の陶器"が紹介される。そのためにその専門である民藝館が利用される。

また同様の目的の日本の文化を海外に紹介する映画で民藝が取り上げられた理由の解説は面白かった。「あまりにも素朴だと後進国だと思われ、西洋文化だと真似と思われる」ために「日本の伝統文化を生かしつつモダンで貧乏くさくない」という理由だそうである。

もちろん柳の当初の意図とは違う形であり思うところもあったと思うが、世間的にはブルジョワの趣味として見られた面もあるのは否定できないだろう。

産業としての民藝

山本鼎の農民美術運動との関係も興味深い。農民美術運動とは大正中期から昭和前期にかけて、農村の農閑期の収入のために美術品を生産しようという運動で、いわゆる土産的な"民芸品"を作る運動だったらしい。最終的には全国にそれなりの広がりをみせたということである。

それに対しては柳は批判的だったというのが面白い。理由については本展覧会では詳しくは紹介されていないが、以下の2つの理由だったとのことである。確かに柳がこれまで民藝としてきたものとの違いは大きく批判は理解できる。

  1. その地域の固有の文化との関連性がない
  2. 実用品でなく装飾そのものが目的の品である

一方で柳が新しい時代の民藝として推進したものは、品質的には優れているかもしれないが、一部の優秀な職人によってのみ産み出されるものであった。結果として高級品としての市場に残すことはできたが、地域の大きな産業とすることはできなかったように思う。

どちらが正しいというわけではないが、論点としては非常に面白いと思う。