虐殺のスイッチ

ものすごく意外な話があるわけではない。しかし、単に知識として知っているだけではなく、自分のわかる言葉のレベルできちんと考えるということは重要だなと思った。

不謹慎ながら最初に想像したのは「虐殺器官」だった。まあそんなに簡単にはいかない。

基本的には森達也がトゥールスレンやアウシュビッツの虐殺博物館を訪れて考えたことがベースなのだが、その過程で、彼の子供時代の話や、ドキュメンタリー作家になった経緯、そして転機になったオウム真理教を扱った"A"の話になる構成が面白い。そしてそれらが思考にリンクしていく。

結論そのものはそんなに目新しい話ではないので書いてしまうと、凡庸で善良な個人が、組織の同調圧力、命令されたという責任転嫁で罪悪感を失ってしまう。そして実際の命令がなくても、空気があれば忖度によって勝手に架空の命令を作り出してしまう。

個人的には森達也の過去の著作も、カンボジアインドネシアの虐殺についての書籍も多少は読んだことがあるので、ものすごく大きな発見があったというわけではない。

しかし特に歴史を扱う本は学術的に冷静に扱おうとするので、結果として読んでも"事実を知った"だけで満足してしまう。この本にあるような、自分の言葉で泥臭く考えることを行わずに終わってしまう。それができたのは良かったと思う。

虐殺は我々の日常では今のところ起きていない。しかし、会社という組織では、パワハラや理不尽な命令、顧客に対する過剰な利益の追求が行われるのは日常的だ。それも全く同じメカニズムで起きているのではないかと思う。

その意味で、ティール組織の自主経営による、上下関係を作らず、新人であってもあくまで基本は自己責任で判断するというのは、一つの防止策になるのかもしれない。