LIFE ― コロナ禍を生きる私たちの命と暮らし

展覧会のメッセージとは逆に、むしろ我々はリアルなコミュニケーションの価値を過大評価していたのではないかと感じた。目黒区美術館
目黒区美術館コレクション展 LIFE ― コロナ禍を生きる私たちの命と暮らし | 2020年 | 過去の展覧会 | 展覧会 | 目黒区美術館

本展は収蔵品展である。収蔵品展は見せ方が重要なのだけど、本展では「コロナ禍の生活」をテーマに、それに合った作品をサブテーマごとに展示している。

作品そのものについて先に話すと、目黒区美術館は常設展がないこともあり、収蔵品という観点で観る機会がほとんど自分はなかった。近代の日本の洋画や版画が主だが、あまり他の美術館で見ない作品が多く、なかなか面白かった。

収蔵品はあるけど、常設展に人が来ないので企画展中心にせざるを得ない問題というのはなかなか難しい。まあ自分も企画展だけ見て常設展観ずに帰ったり、観てもさらっとしか観ないことが多いのだが。

展覧会の構成的には「愛しき日々」でコロナで失われた日常を懐かしむ作品、「それでも私たちは今を生きる」はコロナで孤独に肩を寄せ合って生きる人々の作品という意図なのだが、実際観るとその意図にはかなり違和感があった。

「愛しき日々」ではヨーロッパの戸外や舞台芸術に関する作品が多いのだが、そもそも我々はヨーロッパにいるわけでも、日常的に舞台を観ているわけでもないので、それが失われたと言われても全くピンと来ない。

「それでも私たちは今を生きる」の作品は、家でのんびり過ごしている作品が多いので、別に抑圧感があるわけでもない。むしろテーマとしては幸福感だろう。

そこから思ったのは、コロナによって失われた「リアルなコミュニケーション」は本当はそこまで重要でなく、そこから本当に重要なことをどう抜き出して維持するかなのだと思う。

「リアルなコミュニケーション」は効果も大きいがコストもかかる。リモートで会うことが、効果が60%でコストが40%だったら、リモートで会う回数を2倍にすれば、効果は120%でコストは80%で済む。そのような判断を今後はもっと現実的にやっていく必要があると思う。

最もわかりやすいのはリモートワークだと思う。個人的には仕事の生産性は下がったことは否定できないが、生活の質は通勤がなくなったことにより確実に上がった。

別の例として、最近はある読書会に月一くらいで出ている。そこは法人が運営していることもあり、以前は参加費が交流会込みで 5000円とかでとても出ようとは思わなかった。今ではZoomになって参加費も1000円以下になり気軽に参加できるようになった。

読書会というのは以前も何度も出たことがあるが、オンラインで全く不都合ない会だったりする。でもコロナになるまではオンラインの読書会はほとんどなかったのだ。

もちろんそれでもリアルにしか残らないこと、いやリアルであることそのものに価値を見出すからこそ、リアルに価値があるという、自己言及的なリアルな価値は残るだろう。美術館で美術作品を観ることが、VRで美術作品を観ることと異なるように。