自分はスタァライトには少しおかしいくらいのハマり方をしており、テレビ版は4回は通しで観ている。それだけ思い入れが強すぎると、劇場版に期待より不安のほうが本当に大きかった。
それだけにこの劇場版が素直に素晴らしいと言える出来だったことを、まずは喜びたい。
しかし物語についてはかなり難解な部分がある。二回観たのだが正直よく咀嚼できていない部分もまだかなりある。しかもパンフが売り切れで手に入らない。
そのため今の時点での感想を書いておく。映像ももちろん素晴らしかったが、あえて物語についてのみ書いてみる。なおネタバレを含むので注意。
完結したアニメの映画版の難しさ
テレビシリーズオリジナルで完全に完結した物語の完全新作映画版は難しい。原作があればそのエピソードができるし、1話完結の物語であれば、テレビ版のちょっとスケールを大きくしたエピソードであればよい。
しかし完結した物語の場合、その終わり方が完璧であればあるほど映画版は難しくなる。
一つの方法は、設定と登場人物をアニメ版から借りて、異なる世界線の物語を映画にすることだ。"少女革命ウテナ"や"魔法少女 まどか☆マギカ"はこの方法だった。
スタァライトはこの方法を取らなかった。"完全に完結した"ことを逆手にとって、目的を達成してしまった故の次の目標の喪失を物語の主題に据えたのだ。いかにもスタァライトらしいアクロバティックな方法だと思う。
アニメ版の二つの問題
そしてそれと並行して、アニメ版のスタァライトがその構造上持たざるを得なかった二つの問題について、映画版では向き合っている。
アニメ版は徹底して"二人"の物語だった。華恋とひかりだけではなく、香子と双葉、純那となな、真矢とクロディーヌの物語だった。まひるちゃんはさておき。それこそがスタァライトの面白さであり良さである。一方でそれ故に以下の問題点があった。
1. 二人の関係は依存ではないのか
2. 視聴者はあくまで観客でしかない
これにどう向き合ったかを以下で説明していく。
依存としてのペアからの解放
この点はかなり明確にわかったのではないだろうか。映画の冒頭で全員の卒業後の進路の話が出るが、ペアとして扱われていた二人が、進路的には全て別の道に進むということがポイントである。新国立歌劇団には複数のメンバーが進むが、ペアの両方が進むことはない。
レヴューは基本的にこの二人のペアがお互いの大切さを改めて認識しながらも、そこから新たなる道に進もうという決意が描かれる。
また重要なこととして、比較的従属的な依存関係であったクロディーヌと双葉が相手に勝つことで、依存を自ら断ち切ることに成功する。
華恋の過去
華恋については他の登場人物と同じ依存からの解放という点はあるが、そこは他のメンバとはかなり異なり、解釈が難しい。
アニメ版の華恋は主人公としては説明不足な部分が多かったのではないだろうか。ひかりに対するあれほどまでの強い感情、スタァライト以外にそこまで関心がないように見えるのに、なぜ演劇エリート校に入学しているのか。本作ではその過去について、丁寧すぎるくらいの時間を使って描いている。
その前提を共有した上で、ひかりとの舞台での再会という目的をアニメ版で達成し、そのうえで再度ひかりを失った彼女は他のメンバと同じ進路どころか、そもそもなぜ舞台をやっているのかすらわからなくなる。
華恋は絶望の中で一度死ぬ。しかしその後に「アタシ再生産」により復活する。その過程で強いこだわりであったひかりからの「招待状」は燃やされてしまう。これは何を意味するのだろうか。
普通に考えれば、ひかりへの依存を絶ち切り、劇団に入って演技したことによる純粋な演技への思いを元に、新たなる舞台への道を歩みだすということだと思う。
"二人"から"私たち"へ
これはかなり突飛な解釈かもしれないが、それだけではないのではないかと思っている。
華恋の過去は丁寧すぎるくらい丁寧なのに、現在の華恋はびっくりするくらい空っぽだ。そこには明らかに何か断絶されたものがある。そしてスタッフロール後のあのシーン。
もしかして華恋はRPGの主人公のように、観客であった「私たち」になったのではないだろうか。
"私たちはもう舞台の上"の"私たち"には99期生のメンバーだけではなく、観客であった私たちも含まれているのではないだろうか。私たちは"観客"から"舞台の上"に上げられたのだ。
"観客であるあなたたちも参加者です"とはベタなメタではある。それをシラケさせずに成立させるためには積み上げたコンテキストが必要である。そのコンテキストの積み上げをスタァライトはアニメ版で既に行っているではないか。
私たちはもう舞台の上
同様のコンテキストの積み上げによるメタ作品としては最近大きな作品があった。シン・エヴァンゲリオン劇場版である。
エヴァでは結局のところ家族主義への回帰しか提示できなかったように思う。それはそれで家庭を持った人間の率直な感想として否定はできない。しかし誰もがそこに同意できるわけでもないと思う。
華恋ほど過去から一直線に打ち込んできたものが皆にあるわけではないだろうし、もちろん自分にもない。
しかしながら、自身を形作ってきた過去に好きだったものを胸に、支えてくれた他者への感謝を忘れずに、その一方過剰に依存もせず、自身の道は自分自身で決めていくしかないのではないだろうか。
私たちはもう、舞台の上にいるのだから。