BLUE REFLECTION RAY 前半

BLUE REFLECTION RAYの前半を観終わった。話としても一区切りついていることもあり、この時点の感想をまとめておこうかと。キャラクターデザインについては以前書いたので、今回はストーリーについて書く。

この話は"クソデカ感情バトル"を物語の本質として突き詰めるところに面白さがあるように思う。

"クソデカ感情バトル"とは何か。お互いの激しい主張や思いのぶつけ合いによる口論と、物理的な戦闘を同時に行うことで、物語を盛り上げる手法のことを意図している。むしろバトル物でこの手法を利用していない作品のほうがめずらしいだろう。

その上で本作の特徴は以下の点だと思う。

  1. "感情"自体が世界設定のキーである
  2. 人間関係が敵味方で入り組んでいる
  3. 負の感情を肯定すべきかという問題を扱っている

"感情"自体が世界設定のキーである

フラグメントは"思い"のかけらであり、それを"抜き取る"ことで苦痛の感情から逃れることができる。その是非をめぐる対立が最初の論点となる。

超常的世界設定の力の源として"感情"が使用されることはよくあるが、これが2と3に絡むことによって、他の作品よりもその意味合いが強くなっている。

人間関係が敵味方で入り組んでいる

この話は2クールあるバトル物の割には登場人物が非常に少ない。主要キャラクターは味方4人、敵4人で全員である。

しかも第三話くらいで全員出てしまうので、同じメンバーのバトルばかり観ることになる。その上頭脳戦的な仕掛けも全くないので、正直バトルそのものはかなり退屈と言っていい。

では何が見どころかというと、人間関係というかペアリングの複雑さである。バトルにおけるバディと、実際の姉妹と疑似的な姉妹。これが味方と敵の内部だけでなく、敵味方の間でも錯綜している。そして当然のごとく関係性の奪い合いという強い感情が物語を動かしていく。

というか平原美弦が八方美人で優柔不断なので収拾がつかなくなっているのが問題なような気がしないでもない。みんなのお姉ちゃんになろうと欲張りすぎだ。

負の感情を肯定すべきかという問題を扱っている

この物語では強い思いによる苦痛の感情を"抜き取る"ことで楽になるという設定がある。敵側はネットによる悩み相談で悩みを持った少女に会って、"思いを抜く"ことで相手の悩みを解決する。

これには副作用を伴うことがかなり後になって判明する。しかしその副作用が明確になる前から、主人公達は「思いはその人だけのものだから、抜き取ってはいけない」という理屈で抵抗する。

「抜き取る」という言い方を、物語内でも言われているが主体的に「手放す」と言い換えよう。そう考えたときに、「負の感情を手放す」ことは本当に悪いことなのだろうか。

むしろ普通は自分を受け入れ、相手を許し、感情をコントロールすることで「負の感情を手放す」べきとされているように思う。

ここにセラピー、アンガーマネジメント、マインドフルネス等による自己コントロールの流行に対する反抗心があると思うのは考えすぎだろうか。

エンディングテーマの"最深"の歌詞はまさにその点に触れている。ちなみにこの歌詞はあの「うっせいわ」と同じ人である。一部を引用する。
ACCAMER 最深 歌詞 - 歌ネット

そう私は私が嫌い
共感は信じない 全ては嘘

だけど私の孤独 私のものだ
理解はできない 奪えはしない

明確ではないだろうか。共感に対する絶対的な不信と、自身に抱え込む苦痛の中にこそアイデンティティを感じる態度。現代においては明らかに問題とされる思想だと思うし、一つ間違うと自死を招きかねない。

しかし自分は、むしろ共感の強要のほうに息苦しさを感じる。良い感情だけを維持し、悪い感情をコントロールすることに気持ち悪さを感じる。もちろんある程度は社会上のつきあいのため必要だとは思うが。

そこに本当に踏み込むことができるのか、それともやはり共感こそが大事という無難な結論に落ち着くのか。後半を楽しみに待ちたいと思う。