べき論は思考停止でしかない

正解が明確に決まらない問題において、べき論を持ち出すことは何の解決にもならないと最近よく思います。現実的な利点と問題点から結論をだすしかないのではと。

仕事においては正解のない問題ではあるが、なんらかの結論を明確に決めて、それに全員が従わなくてはならないということがそれなりにあります。そういうときに「べき論」を持ち出す人がいます。

そのような場合に自分は「確かにあなたの言っていることはべき論としては正しい、しかしそれによる現実的な利点は何なのか」という言い方をします。これに対して明確に答えられる場合はそれについての議論をしますし、答えられない場合は意見を却下します。

べき論というのは確かに一方から見ると正しい意見ですし、そういう意見は大抵本の受け売りだったりするので、なんとなく説得力があります。しかし正解を出すのが難しい問題というのは大抵それと完全に真逆のべき論が存在します。

べき論というのは結局のところ、自分の意見を他人の権威を借りて説得しようとする技術にすぎません。もちろんそれは技術としては有用です。

しかし「偉そうな本に書いてある正論だから正しい」というのは現実的なトレードオフから目を背けるための方便であり、思考停止でしかないと思うのです。