ミュシャ展とスラブ叙事詩の重さ

ミュシャのイメージを裏切る"重い"展覧会。だからこそ面白かった。2つの意味で重いです。まず絵が物理的に重い。そして歴史的文脈が重い。

正直この展覧会知ってはいたけど行く気はなかったんですよ。ミュシャ東京都美術館で以前大規模な展覧会あったしもう十分かなと。嫌いじゃないけどそんなに思い入れもないし。ところが日経の特集記事で"スラブ叙事詩"の話が載ってて、これは面白いけど絶対日本には来ないと思ってたら、まさかこれがメインとは。


まずは大きさなんですが、写真でわかるかよくわからないですが、4mくらいあるんですよ。それがシリーズ全て20点全部来ている。
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こういう大きさの絵自体はヨーロッパの大きな美術館だとわりとあるんですよ。ただそれらは大抵美術館の恒久展示に近く、日本に貸し出されることはほぼないわけです。輸送が大変というのもあると思いますが、そういう絵は大抵美術館の目玉なので、基本貸し出せないわけです。

ところが、今回その大きさの"スラブ叙事詩"が20点全部来ている。最初見た時呆気にとられました。チェコ国外では世界で初めてらしいです。今年はチェコ文化年らしいとはいえ、この驚きがわかりますかね。例えるなら台北故宮博物院が白菜と肉を同時に貸し出すようなものです。余計わかりにくいか。


そして歴史的文脈ですが、正直自分はヨーロッパ近代史に全く詳しくないんですが、以下の情報からはキナ臭い匂いがプンプンして大変面白いです。

  • 製作年代はちょうと第一次世界大戦チェコスロバキアの独立時期になる
  • 思想的には"汎スラヴ主義"であるが、これは19世紀に流行した考え方で、制作当時は既に下火だった
  • 結果としてミュシャが16年の歳月をかけて完成させ、プラハ市に寄贈したにも関わらず、チェコ国内では思想的に支持されることなく、2010年代になるまで黙殺されていた。

ミュシャが悪いというわけでは全くなく、祖国を去って大きな商業的成功を治めた作家として、自分の才能で祖国にどう貢献できるか。そのことに対して純粋だった。ただ20世紀という時間の流れが早すぎたのだと思います。そしてミュシャ第二次世界大戦ナチスドイツの尋問により体調を崩して亡くなってしまう。

アールヌーヴォーという光と、2つの世界大戦という影。美術というのはやはり歴史であり、その中で愚直に生きたのがミュシャという作家だったのだと思います。