プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

古典とされている書籍を、専門でもない普通の人が読むことに実質的な意味はあるのか。

一般論としては「読んだほうがいい」ということになるのだろう。しかし実際読んでみると、特に自身のレベルと合っていない書籍については、読んではみたけど、つらいことをなんかやり切った感しかないというのは意外と多いのではないだろうか。もう少し自分のレベルにあった、現代のわかりやすい解説書を読んだほうが得るものは多い。

ただその上で、周辺分野を多少知った状態で読むことにはそれなりに意味があると思う。大抵の古典と言われる本を読んで、ほぼ間違いなくどの本でも思うのは、「この本って多くはこのことについて書いた本だったの」という意外感である。

というのも、それらの古典の他の文章からの参照は、大抵その後の歴史に大きな影響を与えた一番重要な部分について書かれている。そんな部分はほんの一部で、それ以外のほうが実はその本は多くのページ数を割かれているということは多い。

ヴェーバーについてはこの本自体の興味というより、経済社会系の本を読むとほぼ間違いなくどこかで引用されているということもあり、一度はちゃんと読んだほうがいいだろうと長く思っていて、最も有名な書籍だから読んだくらいである。

読んでみてこの本で意外だったのは、経済社会学よりも、ガチガチにキリスト教の知識がないと読めない本だということであった。この書籍がアメリカ、イギリスの経済的な強さと、それらの国にプロテスタントが多いことの関係についての本だということ自体は事前に知っていたけど、それでも宗教改革の知識がほとんどない自分はつらかった。

以前に プロテスタンティズム のレビューを書いたけど、これはこの本を途中まで読んで、そもそもプロテスタンティズムの基礎知識がないと読めないと気が付いて読んだというのが実際だったりする。

本書を読んだ後、よくわからんので以下の解説本を読んだ。

"新書で名著をモノにする"というお気楽なタイトルではあるが、これはこれで結構ガチガチなので全くこの手の本読み慣れてないとこの本でも挫折する。とはいえ本編よりはかなり読みやすい。この2冊を読んで個人的に気になった部分を少し書く。

一つはカルヴィニズムにおけるイエスの立ち位置がよくわからんということである。旧約的な神の概念の復活的なことは何度も書かれているが、予定説まで行ってしまうと本当に神と被造物の人間の間の一方的な関係になってしまい、イエスの役割が全く見えなくなってくる。教会や教皇秘跡は否定できるだろうが、イエスは無視できないだろう。

ルターについては読みやすい書籍があり今自分も読んでいるが、カルヴァンについては一般向けの書籍があまりないようで、どこまで調べるかは少し考えている。

また美術クラスタとして気になったのは、プロテスタントの禁欲的な方向が、芸術の発展の遅れにも影響しているのではないかとの指摘で、これは確かに興味深い。自分の良く知る絵画に限ってもイギリスはターナーまでパッとしなかったというのは事実。

しかしアメリカとイギリスが20世紀になってポップカルチャーと、その影響を色濃く受けた現代美術で世界の中心に立ったのは、禁欲の反動と、古い文化が薄い分、新しい文化を自分たちのものとして受け入れやすい土壌があったからかもしれない。

いずれにせよものの見方としては面白いし、今まで気にはなっていたが、今一つ調べられていなかった宗教改革について調べるきっかけになったのは良かった。