ドレス・コード?─ 着る人たちのゲーム

「ファッションに興味がなければいけない?」というコードがない。オペラシティアートギャラリー。

自分はファッションに対して全く興味がない。そのためファッション系の展覧会には行かないし、他の展覧会と同時開催でたまたま観てしまった時も、面白いと思うことはなかった。

本展もファッション系ということで観るつもりは最初なかったが、ファッションを制約という形である程度批判的にとらえるアート寄りの展覧会ということで観ることにした。結果としてはそれなりに面白い展覧会だった。

しかしファッションに対して自分自身が最も問題だと思っている制約は「ファッションに興味がなければいけない?」という制約であり、ここには言及がなかったのは残念である。まあそもそもこの展覧会に来る人が「ファッションに興味がない」というのはありえないのだろうが。

自分は興味の有無が非常に極端で、他の多くの人が興味のある物、たとえば食事に全く興味がなかったりする。そのため、他者から「興味があるのが当然のこととして興味を強要される」ことに対して強い不快感を覚える。その意味でファッションは社会的に「興味を強要」される典型例だというのが自分の認識である。

まあ自分だって若い頃は女子にモテたかった。いやモテなどというおこがましい気持ちより、最低レベルで足切りされるのだけは避けたかった。

そのため20代後半から30代前半くらいまでは、修行のように月一くらいで服を買っていた気がする。と言ってもユニクロでないというレベルの下位セレクトショップでしか買ってなかったけど。だからと言ってファッションが好きになるということは全くなかった。

40代になるともうすっかりモテたいという意識はなくなってしまい、服は汚れたとかいう理由で着られなくなった場合のみ、ユニクロでしか買わなくなった。精神的には非常に楽になった。


多分自分はファッションに興味がないのではなく、「ファッションに興味がある」こと自体がダサいと思っているのだ。

自分はプロダクトデザイン全般において「必要な機能だけが、低価格である」ことに対して高い価値を感じている。「低価格」というのは自分にとっては非常に重要であり、単にケチなのもあるが、そういうコストのための努力に対しても価値を感じるのだ。

ちなみに職人のこだわりで高い系は、その高いこだわりのレベルの機能を実際に必要としているのであれば価値が高い。しかし、安い物と高い物の違いがわかるほど使用していないのに、そういう職人の物語を消費するために買っているのであれば、それは無駄でしかない。

その意味において、最も価値の低いデザインは「見た目の美しさや不要な機能や文脈のために、高い価格を払うもの」である。ファッションというのはまさにそういうものである。だから自分にとっては「ファッションに対して興味を持つ」こと自体が「ダサい」行為なのである。

ただしそれはあくまで自分にとってのことで、他人が興味を持つ分には全然構わない。ただ「他人に興味を強要しないで欲しい」それだけである。自分にとってはファッションと日常系アニメは同レベルの趣味に過ぎない。

じゃあお前は可愛い服を着た女子にも興味ないのかと言われると、日常系アニメの私服回とか楽しみに観ているのは事実。とはいえまず顔が可愛いという大前提があるので、やっぱりファッションには興味ないのだろう。