となりの801ちゃん

なぜ今"となりの801ちゃん"なのかと思われると思いますが、自分は実は2巻発売の頃、2007年なのでもう13年前くらいから最終巻までずっと買っていたのです。

その後一度手放してしまいましたが、ふとまた読みたくなってまた買い揃えてしまいました。再度読み直してみてもやはり面白かった。

自分は夫婦日常物の漫画は全然ピンと来ないんですが、"となりの801ちゃん"は素直にうらやましい感じがあります。

それは「自分の一番ダメだと思っているところ」を許しあえる関係だからじゃないかと思います。そしてそのダメさが、自分自身のダメさと重なるから。

多くのオタク的趣味を持つ人は、会社で話せるような普通の趣味も持っていたりする。普通の趣味の話をするのも楽しいし、それだけを話していれば「いい人」でいられるのでしょう。特に異性に対しては。

それでもダメな自分であるところのオタク的趣味も認めてくれる人と付き合いたい。それはオタク的趣味を持つ人のほとんどが思うのではないでしょうか。

同じレベルで理解して欲しいとは言わないけど、自分にとっては普通の趣味と同じくらい重要な価値があるので、そこは尊重して欲しい。その理想が嫌みなく面白く描かれているという点が、この漫画が根本で良い点ではないかと。

まあ実際はチベ君はマンガが描けるという点で、オタクヒエラルキーの中ではかなり上位に位置するわけです。ましてや今はコミュ力も高くておしゃれな男性オタクも多いわけで、そこにも熾烈な競争があるのでしょう。自分はさすがに今からは参加したくはないですが。

今回再読してみて、昔と一番自分自身が変わったのは、百合的なものが理解できるようになったことではないかと思います。それにより801ちゃんにおけるBLを百合に置き換えて理解できるようになりました。

いやそれで本当に理解しているのかはわかりませんが、少なくともそういう読み方をできるようになりました。自分はガチ百合派じゃないので、受け攻めはいまだによくわかりません。

"となりの801ちゃん"で好きな話はたくさんありますが、801ちゃんが自分の息子の同人誌を出そうとする話が好きです。チベ君は「そんなの誰が欲しがるの?」って言うのですが、801ちゃんの答えがイカしています。

「欲しい人がいるから書くんじゃない、書きたいことがあるから同人誌を出すんだよ」

このブログも読者の読みたいことではなく、自分の書きたいことを書いていきたいと思います。