これからの「正義」の話をしよう

特に政治的、社会的問題において自分が「なんとなく」そう思うことについて、何故そう思うのかに対する論理的な分解方法を示してくれる本。

哲学書というのはわかりにくい。自分も正直文字だけを最後まで追うものの、内容は結局よくわからんかったということが多い。

この本の面白いところは、功利主義自由主義、道徳という3つの視点を最初に説明したうえで、実例に対して3つの視点ではどのように考えるかという説明を繰り返す構成になっていることだと思う。

功利主義自由主義は詳細な論理や同意のレベルはとにかく、何を重要に考えて判断するかという点はわかりやすい。現代の先進国住民であればそれほど違和感がある考え方ではないだろう。この3つは同じ軸の左右というわけではなく、XYZ軸のように完全に異なる軸であるのも面白い。

道徳は軸と言っていいかは微妙で、どの道徳的正しさを採用すべきかいう判断はしていない。例えば共同体によって道徳的正しさは異なるだろう。功利主義自由主義以外の「何か」による判断をまとめて「道徳」と呼んでいるようにも思える。少なくとも功利主義自由主義だけで判断すべきではないということだろう。

個人的に興味深かったテーマは「国家の過去の世代の行為に対する謝罪はなぜ必要か」というテーマだった。ここで示されている論理としては、自身の選択ではなくても、共同体に所属することによって過去の遺産からの利益を得ているのであるなら、共同体の過去の罪に対する責任も存在するという考えと解釈している。

この論理は確かに強力だ。自分個人としては勤勉であるとも思えないが、過去の日本人が勤勉だったことにより、現在日本人としてそれなりに世界的には恵まれた生活をしているという点はあるだろう。それであれば個人として犯罪を犯していなくても、過去の日本人が犯した罪に謝罪するのも同じであるという理屈である。

ただ一方で、これだと親の個人的な罪も子供が償う必要があるという理屈になる。過去に問題を起こした会社に入社した社員はどうだろうか。国家という大きな形では違和感がなくても、小さな共同体で個人の力が大きくなるごとに違和感がでてくるように思われる。ここは少し考える必要がありそうだ。

ベストセラーということで斜に構えて読んでなかったが、なかなか考える本だった。