新宗教を問う

明治時代以降の各種新宗教の紹介にとどまらず、それらを歴史的に整理したうえで、社会における良い面も悪い面も冷静に書かれている良書。


宗教というのは遠くて近い話題だと思う。自分は好んで宗教施設に行ったり、宗教美術を観たりしているけど、信仰心はほとんどない。本書のような宗教を学問的に扱った本は面白く読むけど、仏典や宗教者の書いた教義や道徳について書いた本は読んでもまったくピンと来ない。

特に伝統的な宗教ではない新宗教については、自分たちの世代はオウム真理教事件の影響があまりにも大きい。昨今再度話題になっている統一教会についても、かつてはかなり問題になった。

自分が学生のころも統一教会系のサークルはあった。実は当時そうと知らずに何度か話を聞いたことがある。綺麗なおねえさんとお話したかったのでふらふらとついていってしまった...何度か通ううちにビデオを見せられて、これはヤバいやつだと気がついて縁を切った。


新宗教についての新書で最も有名なのは島田裕巳の"日本の10大新宗教"だと思う。こちらはかなり前に読んでいる。こちらの本に比べると本書は各種の宗教の紹介にとどまらず、より積極的な位置づけと解釈を行っている。

本書の面白いのは後半で1970年以前の新宗教と、それ以降の新宗教を大きく現世肯定的と否定的という区切りでわけたことだと思う。伝統宗教は基本的に現世否定的だが、創価学会を始めとする1970年以前の新宗教は現世肯定的である。

現世肯定的というのは要するに現在の幸せのための宗教ということで、伝統宗教の観点から見ると宗教ぽくない。自分は創価学会の人の話を聞いたことはないが、知り合いが話を聞いた際の感想が、まさに「今の自分の幸せが目的なことが宗教らしくない」だったので実際今でもそうなのだろう。

しかしながら本書はむしろその点が新宗教の良い点として評価している。もちろん折伏による強引な勧誘の問題点は指摘した上であるが、特に専業主婦のための相互扶助のコミュニティとして機能した部分を評価している。

一方で1970年以降の新宗教、これにはオウム真理教統一教会幸福の科学が含まれるのだが、これらについては現世肯定的な新宗教の反動として生まれた故に現世否定的で伝統宗教に近い。しかし現世否定的だからこそ、来世のために躊躇なく現実と対立し、共同体意識が低いと解釈している。

また宗教そのものではないがスピリチュアル、癒し、自己啓発等の宗教との類似性と現代における役割においても触れているのが興味深い。


本書でも述べられているが、死についてだけは我々は何の科学的回答も得ることができておらず、宗教の力を借りるときもあることは今後も変わらないだろう。

一方でそれ以外についてはどうなのか。自分自身が先にも述べた通り、神の存在について全く信じておらず、宗教的な道徳についても何の感銘も受けない。それなのに主に美術という形から宗教に惹かれるのは何故なのか。

最近思うのはほとんどのことは虚無でしかないということだ。この文章も書いたところで別にお金になるわけでも、世界に良い影響を与えるわけでもない。虚無でしかない。

しかしその虚無の中にしか、かつての宗教がもっていたような価値はないのではないかという気がしている。