終わりの吸血鬼さん

となりの吸血鬼さんの最終巻8巻を読み終わった。最終回について思うところをちょっと書いてみる。

2021年はアニメ化された日常系漫画の連載終了が多かったように思う。自分が単行本を買っていた作品だけでも、となりの吸血鬼さんだけでなく、のんのんびより、ひとりぼっちの○○生活が連載終了した。きんモザもBest Wishesも入れれば去年。

自分は単行本は追ってなかったけどNEW GAME!!Aチャンネルひなこのーとも去年だった。

新人の連載を入れたい、長期化によるマンネリ化、そして日常系ブームの終焉といろいろ理由はあるのだと思うし、それ自体は仕方ない部分もあると思っている。


日常系漫画で特にリアルタイムで新刊を追っている漫画の最終巻を読むのは、自分にとっては何か特別な体験になる。楽しいとか悲しいとか以前に、感情が何も浮かんでこない。

日常系は「永遠に終わらない」であることを宿命づけられている。実際には高校生活の卒業という形を取ることも多いが、それは物語の終わりではない。日常系には終わらせるための物語が存在しない。その脱物語性こそが日常系なのだ。

その認識でいると「日常系が終わる」ということが、自分の中で何かバグってしまう。終わらないはずの日常が「連載の終わり」という現実の出来事として表れてしまう。そこになにか特別な受け入れられなさがあるのだと思う。

既に完結しているものを読む場合は、終わることが所与のものとして認識されているのでそこまで抵抗がないのかもしれない。


話が長くなったが"となりの吸血鬼さん"の最終巻の話に戻る。最終巻は驚くくらい終わりに向かう物語が何もなかった。朔夜、夕、焔は一応ゴールがあったけどメインキャラではない。エリィもついにと見せかけてのネタはかなり良かった。

その上で最終回に"最終回だけ観られない"という少しメタな話を持ってきたのは、吸血鬼さんらしくて本当に良かった。吸血鬼さんはソフィーちゃんが日常系好きなので、メタ要素も少しあるけどそれを強調したりはしない。その辺の塩梅が実に素晴らしかった。

考えれば吸血鬼さんはアニメ版の最終回も、第一回の出会いを再度演技するという方法で、終わらない物語としてのループする日常をメタ視点で意識させる素晴らしい最終回だった。

連載お疲れ様でした。次回作も期待しています。